「死刑」に反対した元裁判官

袴田さんは無罪だと思っていた1人目の元裁判官、熊本典道さん(故人)。
1968年、1審・静岡地裁で袴田さんに死刑判決を下した裁判官の1人だ。
判決から約40年後、会見を開き、「本当は無罪だと思っていたが、やむを得ず、死刑判決を下した」と異例の告白をした。

熊本典道元裁判官
「少なくとも今まで出ている証拠で、有罪にするのは無茶だと思った。まさかこんなところで私の声を聞いてもらえるとは思わなかった」
1966年、静岡県の旧清水市で、みそ製造会社の専務一家4人が刃物で刺され、火を放たれて殺害された、いわゆる「袴田事件」。
警察は、住み込み従業員の袴田さんを逮捕する。決め手は袴田さんの部屋から、わずかな血痕がついたパジャマが押収されたことだ。
熊本さんが最初に疑問を抱いたのが、袴田さんの“自白”。
26日の判決で静岡地裁は、「“自白”は非人道的な取り調べによって獲得された捜査機関によるねつ造証拠」と言い切った。

取り調べの録音テープ(逮捕当日・1966年)
袴田さん
「あんたがたがね、それだけ自信を持って言ってるけど、他に犯人が挙がったらどうする?」
取調官
「他に犯人挙がったら?ないだろ。挙がりっこない」
取調官
「挙がりっこないよ」
袴田さん
「挙がる。必ず挙がる」
取調官
「他にな、出るわけない」
袴田さん
「専務をなぜ殺さなきゃならないんだよ。俺、本当に世話になって。心から専務には仕えてたよ。よくもやりやがったな俺を。なんとか真面目にやろうと思ったのに。あんたがたこそ人殺しだよ」
警察は、容疑を否認する袴田さんに平均12時間、最も長い日で17時間近くに及ぶ取り調べを行った。

取り調べの録音テープ(逮捕から18日後・1966年)
取調官
「本当に意気地のない野郎だな。え?なあ。意気地のねえ弱虫だな、てめえは。え?」
「いいことをしたのか、悪いことをしたのかどっちだ?袴田。おめえがな、人に褒められるようなことしたのか、悪いことしたのか、どっちだと言うんだ」
「聞こえないのか?なあ。本当に聞こえないか。お?袴田。返事しろよ、返事を。袴田君。袴田君」
袴田さん
「聞こえますよ」
逮捕から20日後、袴田さんは「パジャマ姿で犯行に及んだ」と自白する。

熊本典道 元裁判官
「私にしてみれば、他に確たる証拠が無いから自白をとらなきゃどうしようもないなと、調べたんだろうと思った。ところがいざ自白をとってみると、認めるわけにはいかん証拠ですよね」
一度は自白した袴田さんだが、裁判では一転、否認する。すると突然、“新たな証拠”が出てくる。
事件から1年2か月が経過した裁判のさなか、一度は念入りに捜索されたはずの、現場近くのみそタンクから血まみれの衣類が見つかったのだ。

シャツやズボン、ブリーフなど、あの「5点の衣類」だ。
警察は袴田さんの実家を家宅捜索。すると、タンスからズボンの切れ端が見つかり、その場で「これは『5点の衣類』のズボンの切れ端だ」と報告した。
検察は、すぐに犯行着衣をパジャマから「5点の衣類」に変更したのだ。
熊本典道 元裁判官
「なんで今頃?大体誰が?どうしてああいうものがみそタンクに入っていたんだろう?検察側にとってみれば『新しい証拠が出てきたよ』。私の立場からすれば『あれ?またなんかやったのかな?変なことしたんじゃないの?』っていう受け取り方」
「5点の衣類」と「自白」に対する熊本さんの疑念は膨らみ、一度は「無罪」の判決文を書いたという。
しかし、3人の裁判官のうち他2人の裁判官が死刑を支持。熊本さんは、一転して死刑の判決文を書く役割を任せられる。

熊本典道 元裁判官
「『こんなもの書けるか!』と先輩に向かって言ったことは覚えています。そういう方に裁判長が気持ちが傾き始めてから、僕の心の中は煮えくりかえるような気持ちですよね」
結局、一審では袴田さんに死刑判決が言い渡された。
犯行着衣がパジャマから「5点の衣類」に切り替えられたことについて、判決は「当初、袴田さんが『パジャマ姿で犯行に及んだ』と嘘の自白をした」とした。
熊本さんは抵抗の証として、判決文に異例の“付言”を書き加えた。

熊本さんが書いた“付言”
「このような本件捜査のあり方は、厳しく批判され、反省されなければならない。本件のごとき事態が、二度とくり返されないことを希念する余り敢えてここに付言する」
熊本典道 元裁判官
「どっかで、僕が悩んで判決書いたんだということ、無罪にするきっかけを(のちの裁判所に)掴んでほしいなっていう願いだね」
しかし、熊本さんの願いは届かず、1980年、最高裁で袴田さんの死刑が確定。袴田さんは無実を訴え、裁判のやり直し、再審を求めた。