孤立集落 通う住民の想い

輪島市の西保地区では豪雨で道路が寸断され、一部の集落が孤立した。

村瀬健介キャスター
「西保地区は1月の地震でも孤立状態に陥ったんですが、今回の豪雨災害でも唯一の道が寸断され、再び孤立状態に陥っています」

集落に向かうルートは大量の倒木や土砂に阻まれ、なかなか前に進むことが出来ない。

歩くこと、2時間。

村瀬キャスター
「今、ちょうど集落が見え始めていますが、あちらの方に人影も見えますね」

谷内吉夫さん(78)。地震後は輪島市内の仮設住宅に入ったが、自宅での生活を立て直すため、二日に一度は様子を見に戻っていたという。

この日は豪雨の後、初めて帰宅。片道3時間かかったという。

谷内吉夫さん
「水道は全くこの通り。出ない」

雨の被害は免れたものの、1月の地震以降、断水は続いたままだ。自宅にいる間の生活用水は雨水や田んぼの湧き水を貯めて使ってきた。食料は畑で採れた野菜など。停電に備え、発電機も新たに購入した。

谷内さん
「地震の後は電気も復旧して、道もそれなりに行き来はできていたんですけど、水害でまた駄目になってしまって二重のショック」

――でもやっぱりこの場所で、生活を再建したい?

谷内さん
「私自身はそう願ってるんです。ここにいれば自分の田畑もありますし、今は行き来に不便だけど下には海があって、上に行けば山がありますから」

山口茂夫さん(74)も輪島市の中心部から集落に通い続ける住民だ。

――今日は片付けですか?

山口茂夫さん
「商売道具を取りに来た」

仮設住宅に住みながら大工として働く山口さん。被災した建物の補修を依頼されたため、工具を取りに3時間かけて戻って来たという。

二度にわたる大きな災害を受けて、故郷への思いは揺らぎ始めている。

――ここで生活再建したいという思いは?

山口さん
「(自宅に戻るかどうか)5分5分。あんまり思わなくなった。これを飾って帰る。いつ来られるかわからんもん」

神棚に供え物をし、10キロの工具を背負いながら来た道を帰っていった。

一方で、やむなく集落を離れた住民もいる。仮設住宅で暮らす小脇春美さん(73)。

小脇晴美さん
「来る気はなかった」

――本当は向こうがよかった?

小脇さん
「そうそう、この2~3日は涼しくなったけど、暑いしね」

2024年2月、私たちが取材した際は孤立集落に残り、夫の政信さん(72)と二人で暮らしていたが、7月、政信さんが突然、心筋梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人に。

春美さんは一人、この仮設住宅に移り住んだ。

――この震災でのストレスというのも?

小脇さん
「そんなのもあったんだろうと思う。布団に入ったって何もせんで『寝られん』と言ってたけどね。寝られん寝られんって目が覚めたりね。まさか死ぬとは思わなかった」