「ごく自然に私は死の準備をした。死ぬことがきっと、最も確実にこの監獄から出る手段だった」_____

 これは太平洋戦争終戦間際に、憲兵隊から激しい拷問を受けたフランス人神父の言葉です。戦時下の日本では、宗派を問わず、キリスト教の聖職者たちがスパイや不敬罪(天皇の尊厳を損なう罪)などに問われ、逮捕・拷問される弾圧が各地で起きていました。知られざる弾圧の歴史に、当事者本人の手記や当時を知る関係者の証言から迫ります。

“外国人はスパイ”…戦時色が濃くなるにつれ教会や神父への監視が強まる

 兵庫県西宮市、阪急夙川駅にほど近い場所にある「カトリック夙川教会」。阪神・淡路大震災でも倒壊を免れた聖堂は、90年以上の歴史を誇ります。日曜日には多くの人がミサに集います。

 今もなお、信者たちに祈りと安らぎの場を与えるこの教会が、第二次世界大戦中に悲劇に見舞われたことはあまり知られていません。信者のひとりが当時のことを語ってくれました。兵庫県宝塚市に住む五百旗頭邦夫さん、86歳です。

 (五百旗頭邦夫さん)「メルシエさんは説教の時になったら、説教台に上がって、説教台から後ろまで聞こえるようにゆっくり大きな声で話された」