左膝の半月板断裂・・・
選抜大会前に手術を余儀なくされました。
田口真彩
「なんでけがしてしまったんだろうというのと、チームに申し訳ないって気持ちが大きくて」
競技を続けられないかもしれない。
不安と戦いながら入院生活を過ごしました。
そんなとき、心を動かしたのは病床で読んだ本のある言葉でした。
田口真彩選手
「努力だけじゃスポーツは勝てないし、勝つか勝たないかは運も必要というのを教えてくれた本で」
運をためるためには行動を変えなければいけない。
自身を見つめ直すきっかけになったといいます。
田口真彩選手
「入院生活は正直(バドミントンを)やめてもいいやって思ったりもしたんですけどでもやっぱり選抜の団体戦は出られるってなったのでチームのために頑張りたいって思いましたしあのときは気づけなかったけど今思えばけががあったからここまで成長できたなってすごく思います」
全国高校選抜・個人戦の出場はかないませんでしたが、学校対抗戦では優勝。
そして高校時代最後にして最大の目標の大会、北海道インターハイを迎えます。
学校対抗戦決勝は福島県のふたば未来学園との対戦でした。
大会3連覇がかかる大一番。
第1ダブルスに登場したのは田口選手と2年生で、世界ジュニア優勝の宮崎選手のペア。
しかし、このエースペアがまさかの敗戦を喫します。
このピンチを救ってくれたのはチームメイト。
ほかのメンバーの頑張りもありチーム全員で大会3連覇をつかみました。

田口真彩選手
「キャプテンを始めた時はなかなかチームには伝えたいことも伝えられなかったんですけどインターハイ優勝したいというのは伝え続けていたので、チームのみんながチームのために頑張ろうという思いを強く持ってくれたので、伝え続けて良かったですしキャプテンをしてて良かったなと思います」
高校生の大会を終えた田口選手は、2023年10月、世界ジュニア女子ダブルスで優勝。
世界を舞台に輝き始めました。
小学1年生ではじめたバドミントン。
道のりは、決して順調ではありませんでした。
田口選手を成長させたのは、つまずいても諦めない心。
そして、田口選手を応援し、支えてくれる人たちの存在です。
田口真彩選手
「柳井市の方もそうですし山口県のすべての方々に支えられた4年間でしたし、学校も部活も楽しくて、本当にここ(柳井商工に)に来てよかったなって自分がこの道を選んだことに後悔せずにできたこともうれしかったです」
「強くなりたい」とやってきた山口県。
4年間で「恩返しをしたい」という気持ちが芽生えました。
ここ山口県で新たなステージに進みます。
見据える先にはオリンピックです。
(テレビ山口「mix」2024年3月25日放送を再構成)