捜査密行主義
特捜部はマスコミの過熱報道を抑えるため、「陽動作戦」をとることもある。たとえば「リクルート事件」では当初、収賄側の最初のターゲットは熊﨑率いる「労働省ルート」ではないかと見られていた。証拠が固まっていたからだ。新聞各紙は取材にもとづいて「まず労働省ルートから強制捜査へ」と「前打ち報道」を連発した。
しかし、なぜか最初に特捜部が着手したのは佐渡賢一(23期)班長の「NTTルート」からだった。これは「前打ち報道」に憤った東京地検トップの吉永検事正が、強制捜査に入る順番を当初の「労働省ルート」から「NTTルート」に入れ替えて、メディアを出し抜いたのであった。吉永検事正は「捜査密行主義」を極めて重視する検察幹部でもあった。
このとき熊﨑は、主任検事の宗像紀夫(20期)から「マスコミは労働省ルート狙いだから、おとりになってくれ」と命じられる。数人で検察庁を出ると、すでに多くの記者が1階に待機していたが、そのまま何喰わぬ顔で車に乗ると、各社が追いかけてきた。そこでメディアをまくために、東京都内をぐるぐるまわった。
実は、熊﨑の行動はこの間に、「NTTルート」班長の佐渡賢一をNTT・真藤恒会長の取り調べに行かせるためであった。熊﨑自身もその日は、「労働省ルート」を着手すると思い込んでいたため、指示されたときは驚いたという。
そのリクルート事件から8年後、特捜部長となった熊﨑は一連の総会屋、大蔵接待汚職捜査で、新聞やテレビの「前打ち報道」の状況を見ながら、やはり着手日や捜査対象の企業を入れ替えるなど、司法記者を攪乱させることもあった。そのためメディアにとっては「前打ち報道」が、結果的に「誤報」になることもあった。一連の捜査で、着手できる状態にある特捜部の手持ちのカードがそれだけ多かったのである。
当時、司法記者クラブでP担(検察担当)だった秌場聖治(TBS)が振り返る。
「一連の4大証券・第一勧銀・総会屋事件取材のなかで、酒巻逮捕の日のことを一番覚えている。朝のNHKのニュースを見て、やられたと思った。これ以外は、ほぼ捜査対象者を事前に取材し、強制捜査着手のタイミングも把握できていた。だからこそ、酒巻の任意同行の現場だけ撮れなかったのは非常に悔しかった。
とにかく司法記者クラブ各社の競争は熾烈を極め、確かNHKも第一勧銀のトップ、奥田元会長の映像を特オチしたときは青ざめていた。かつてない規模で金融機関幹部の逮捕者が相次ぎ、いつどこにガサ入れが入るのか、誰が逮捕されるのか、異常な緊張感が続いて全く気が抜けなかった」
野村証券の酒巻元社長は厳しい表情で東京拘置所の門をくぐった。後部座席のまん中に座り、左脇には取り調べ検事の松井巌(32期)が同乗した。引責辞任から2ヶ月半が経っていた。東京拘置所では容疑をほぼ大筋で認めたという。
小池隆一というたったひとりの総会屋への巨額の利益供与は、業界最大手の経営トップの逮捕という、日本経済を揺るがす大型金融経済事件に発展したのであった。(敬称略)
(つづく)
TBSテレビ情報制作局兼報道局
「THE TIME,」プロデューサー
岩花 光
■参考文献
村山 治「検察:破綻した捜査モデル」新潮社、2012年
魚住 昭「特捜検察」岩波新書、1997年
熊﨑勝彦/鎌田靖「平成重大事件の深層」中公新書ラクレ、2020年
高尾 義彦「巨悪に挑戦・東京地検特捜部」エール出版社、1997年