「多士済々」な中堅若手

ここで特捜部長・熊﨑勝彦(24期)率いる特捜部の陣容を見てみよう。副部長は笠間治雄(26期)、山本修三(28期)、三浦正晴(27期)の3人だったが、1997年9月に笠間が異動し「秋の陣」から岩村修二(28期)、川崎和彦(29期)が加わり4人となった。
主任検事は井内顕策(30期)、班長クラスは大鶴基成(32期)、粂原研二(32期)、八木宏幸(33期)、そして優秀な人材が揃っていることから「花の35期」と呼ばれたのが黒川弘務、林真琴、佐久間達哉、稲川龍也、小島吉晴らの中堅だった。この35期からは、のちに特捜部副部長を4人も輩出している。

黒川は「リクルート事件」を皮切りに、総会屋事件では前述の通り、野村証券から小池隆一への「現金提供」についての供述を野村幹部から引き出した。また「日興証券」から新井将敬議員への利益供与の捜査などを担当、日興証券役員から決定的な自白を得るなどセンスに優れ、林真琴(35期)とともにプリンスと言われた。黒川は「法務省」でも司法制度改革で大きな役割を果たし、安倍内閣当時は大臣官房長、法務事務次官、東京高検検事長などを歴任し「官邸の守護神」とも呼ばれた。

同じく林も「リクルート事件」の経験を持つ。「総会屋事件」「大蔵接待汚職」では高知地検三席から応援検事として呼ばれ、第一勧銀から大蔵省金融検査官への接待汚職を担当、のちに名古屋高検検事長を経て検事総長となった。黒川と林は2000年代に入ると特捜部から法務省に吸い上げられ、「50年に一度」と言われた「司法制度改革」で手腕を発揮し、いずれ「どちらが検事総長になってもおかしくない」と周囲からも認知されるようになった。

佐久間は「リクルート事件」に携わったほか、アメリカの連邦検察局や米国SECに派遣された国際派で、「総会屋事件」の前年の1996年まで在米日本国大使館一等書記官としてアメリカに駐在した。帰国後に「山一証券」の破綻につながる「粉飾決算事件」を担当する。
のちに「日本長期信用銀行粉飾事件」で主任検事を務め、特捜部長としては小沢一郎の秘書を逮捕した「陸山会事件」の指揮を執った。

法務省刑事局から応援で加わっていた北島孝久(36期)は「金丸元副総裁脱税事件」で金丸の次男を取り調べ、「パレロワイヤル」の金庫の場所を自白させるなど「熊﨑の秘蔵っ子」と言われた。「第一勧銀ルート」で宮崎邦次元会長の取り調べなどを担当、のちに特捜部副部長となり、「ライブドア事件」などを指揮した。退官後は熊崎勝彦法律事務所に入った。

若手では大鶴基成が率いる「第一勧銀ルート」で中村信雄(45期)、小池の弟を調べた森本宏(44期)そして2班から途中で大蔵汚職捜査に加わった木目田裕(45期)がいた。中村は、第一勧銀が総会屋への「う回融資」を始めるきっかけとなった「吉兆会談」の供述を総務担当取締役から引き出したほか「山一証券」「日銀接待汚職」でも幹部から重要な供述を引き出した。

木目田は浦和地検公判部から29歳の若さで特捜部に抜擢され、バブルの四天王と呼ばれた麻布自動車グループ会長の捜査などを担当、途中から大蔵接待汚職に加わり「金融検査官ルート」や「叙勲汚職」などを担当。主任検事の井内らとともに大蔵省への家宅捜索にも立ち会った。大蔵汚職のあとアメリカのロースクルールに客員研究員として派遣され、帰国後は法務省刑事局付、金融庁総務企画局企画課などを経て弁護士に転身した。

第一勧銀捜査班・大鶴検事(32期)
野村幹部を移送する黒川検事(35期)