女性と「お世話」という仕事

日本社会において、一部の例外を除いて女性の存在は長らく補助的な役割を強いられてきた。それが大きく転換したのが、1874(明治7)年に東京女子師範学校が設立されて女子教育が制度化されて以降である。それまで教育の埒外に置かれていた一般女子たちに教育の機会が開かれ、その結果一定の教育を受けた働き手としての女性が誕生した。いわゆる、「職業婦人」の誕生である。

職種としては、電話交換手、タイピスト、百貨店店員、女給などであったが、全体に通底するのは補助的な役割、つまり「お世話」だったのである。1885(明治18)年に師範学校の女子部が設立され、より高度な教育を受けられる環境が整ったが、男性を中心とした社会構造は容易には変わらず、就ける職業の幅は拡がっても仕事内容は限定的であった。

そんな職業婦人のなかでも、百貨店の店員は人気であった。百貨店の前身は、呉服屋である。呉服屋の販売方法は「座売り」と呼ばれ、客が店を訪れるのを座って待機していて、男性販売員である「手代(てだい)」が接客をする形式であった。手代の上司は「番頭(ばんとう)」であり、部下として「丁稚(でっち)」がいて、どちらも男性の仕事だった。店主の妻である「お上さん」以外の女性は店頭を含む表にはおらず、店の奥で家の仕事を手伝っていた。

この座売りの販売形式を現在のような商品を陳列する形式に変えたのが百貨店であり、1904(明治37)年に三越呉服店が「デパートメント宣言」を行い、近代的な百貨店の嚆矢となった。

その際に女性店員が雇用されたが、女性店員が行った「丁寧な応対」や女性客に対する「会話」が好評を得た(2)。その結果、専門的な知識を必要とする売場では男性店員が接客し、それ以外の売場では女性店員が次第に増えた。現在のような百貨店店員=女性のようなイメージができあがった。言い換えれば、百貨店という近代的な商業形式への女性の進出は、女性に求められていた「補助的」で「お世話」をすることが前提となっていたのである。

当時の百貨店には、エレベーターやエスカレーターなどの近代的な設備が整っていた。日本で最初にエレベーターを設置したのは1890(明治23)年浅草の凌雲閣であったが、百貨店では1925(大正14)年に神戸市にあった「小橋屋呉服店」が最初である。

当時は「昇降機」と呼ばれていたが、初期の設備は操作が複雑で、男性の運転係が乗務していた。1929(昭和4)年になると上野の松坂屋百貨店が初の女性運転係である「昇降機ガール」を採用した。後に「エレベーター・ガール」と呼ばれてテレビドラマにも登場するこの職業だが、最近は自動運転になってある年齢以上の人でないとエレベーター・ガールを観た記憶はないと思う。

基本的にはドアの安全な開閉と客の要望に応じた停止階の設定。そして、各階の売り場案内が仕事内容であった。そして、その声だけがエレベーター・ガールという身体から切り離されて、現在のエレベーター自動音声として採用されているのだ。

バスの自動音声は、どうだろうか。日本に乗合型のバスが移動手段として登場したのは、京都市で1903(明治36)年のことだった。現在の箱形車両とは異なり、蒸気機関で走る幌が付いた8人乗りの車だった。

初期のバスは故障が多くて本格的に普及し始めたのは、大正期に入ってからであり、最初に普及し始めるのは需要の多い都市部からだ。1923(大正12)年の関東大震災は東京を中心とした路面電車の軌道を破壊し、急遽代替手段として800台余のバスが導入された。バス事業を営む事業者が複数設立され、乗客に選ばれるために揃いの制服を着た女性車掌たちを採用し、女性車掌を使った宣伝合戦も激しくなった。

例えば、最初の女性車掌は1920(大正9)年に東京市街自動車会社(後の東京乗合自動車)が採用した女性車掌であり、制服は黒のツーピースに白い襟であった。1924(大正13)年には東京市電気局が市営バスの女性車掌を採用し、紺色のワンピースに赤色の襟が付いた制服を採用した。このような制服による話題性はともかく、女性車掌たちに求められたのは乗客への切符販売、停留所の案内、乗客の乗降手助け、運転手の補助など、あくまでも補助的な役割であった。もちろん車内での会話や案内は肉声で行われていた。

敗戦を挟んでバスと車掌による輸送はますます需要を増していったが、1960年代に入ると高度成長に伴う全国的な人手不足と女子の進学率が高まったことによる、中学校卒女子が主な就職先であったバスの車掌離れなどによってバスの車掌は廃止され、ワンマン化した際に自動音声案内が誕生した。

そして、ここでもエレベーターの自動音声と同じように、それまで女性が行っていた声による案内は身体から切り離され、録音した声だけが車内に響くようになったのである。

百貨店のエレベーター・ガールやバス車掌以外にも、戦争による男性の徴兵で人員不足に陥り、それまで男性が担っていたさまざまな仕事を女性が担うことになった。しかし、これは前記のような女性に対する社会的な規範を背景とした仕事とは異なり、あくまでも男性の代役でしかなかった。敗戦後の社会に男性が復帰し始めた後は代役の必要性はなくなり、元の補助的な仕事へと女性も復帰していったのである。