お世話を焼いてくれる「女性声」の自動音声

大学の講義がある時や30分以上移動する際には、音楽やPodcastを聴くことが多い。ワイヤレスイヤホンをケースから出し、耳に装着すると女性の声で「接続しました」あるいは「Connected」と知らせてくれる。カバンにしまってあるスマートフォンとBluetoothで自動的につながったことを知らせる声だ。ワイヤレスイヤホンを購入した後、最初に接続設定を行えば、あとは自動的に接続してくれる。便利なものだ。

授業の合間にキャンパス内のATMで現金を引き出そうと機械の前に立つと、自動的に「いらっしゃいませ」と挨拶してくれる。もちろん、そこには自分以外の誰もいない。無事に現金を引き出すと「ありがとうございました」とまた挨拶してくれる。無機質な機械の操作が、この声のおかげで少しだけ人間の存在を感じさせてくれる。実際には人間の声ではなく、機械が話している擬似的な「声」にもかかわらずだ。

このような機械が話す「声」は、今やわれわれの社会生活の至る所で耳にする。一部コンビニやスーパーにある自動精算機、エスカレーターやエレベーター、動く歩道、駅のホーム、電車やバスの車内、カーナビゲーション、SiriやアレクサのようなAIアシスト、視覚障がい者向けのトイレ案内、お風呂があと何分くらいで入れるのかを知らせてくれる音声などなど、至るところに機械の声はある。だが、われわれはその声に注意を払うことは殆どないと言っていいだろう。

なぜなら、これらの声は自分たちの身の安全を守ってくれたり、生活を便利にするための「お世話」を焼いてくれる声だからだ。毎日毎日お世話を焼いてくれる存在は、やがて普段耳にしている日常化された音のなかに埋め込まれ、特別な注意を払うことはなくなっていく。

ヤカンでお湯を沸かすと「ピー」という音で知らせてくれるし、トースターでパンが焼けたことや電子レンジで温めが終わったことを知らせてくれる「チン」という音と何も変わらないからだ。

しかし、ただ一つ違うとすれば、機械が話す「お世話声」には性別があるという点だろう。その性別はもちろん肉体的なものではなく、意識や認識上での性別、すなわち「ジェンダー・ヴォイス」なのだ。

これらの声は、かつては生身の人間が行っていた仕事や作業が自動化された際に作られたと考えるのが妥当だろう。典型的なのは、エレベーターの運転係とバスの車掌で、どちらも大正末から昭和初期にかけて社会に登場した職業だ。そして、どちらも自動音声による「お世話声」が使われているだけでなく、その声は自動化する前にその仕事を担っていたジェンダーを引き継ぐ形で女性の声が使われているのだ。

単純に考えれば、自動音声化される際にその「声」を代替させる必要があるが、利用者が違和感を抱かないために女性の声にするのが順当だろう。しかし、筆者はそこに社会のジェンダー意識も働いていたと考えている。つまり、男性の声にすることも可能であったにもかかわらず、あえて女性の声を選んだと考えられるのだ。しかも、先述のような女性が担っていた「お世話」というジェンダー・バイアスが、深く関わっていたのである。