「冤罪が生まれるのは、個々の事件でいえば担当捜査員・検察官の油断や怠慢が原因でしょう。しかし、視点を広げれば、それはこの国の刑事司法や捜査機関の体制の問題だとみることもできると思います。例えば私の経験の中で、冤罪はニュースになるような大きな事件ではなく、世間の注目を浴びることもない、軽微な犯罪こそ起こりやすいと感じたことがありました。警察や検察の人員には限りがありますから、軽微な犯罪に対して、時間と手間をかけた緻密な捜査はなかなか行うことができないという実態があります。担当する捜査官が、他に大きな事件を抱えていたら尚更ですよね。その結果、証拠関係や当事者の証言など、裏付けが非常に曖昧な状態のまま、流れ作業のように物事が進んでいってしまいます。そして、捜査に慣れていない被疑者や被告人は、つい「そのようなものか」と安易に受け入れてしまう。これが冤罪に繋がりかねないわけです」。

起訴後の有罪率99.9%の中に実在した無罪判決

國松弁護士も、過去に担当した刑事事件で無罪判決を勝ち取っている。「経験として私が無罪判決を獲得したのは1件だけですが、実感としては、こういうことは他にも全然あり得るのだろうなと感じました」と話す。日本の刑事事件において被告人となった場合、その有罪率は99.9%という数字がある。つまり“裁判=有罪”という図式が出来上がっている中で、“冤罪”を防いだのだ。

「被害者とされた方は非常に社会的信用のある職業に就いていて、その一方、疑いを掛けられた被疑者は無職で前歴のある方でした。両者のコントラストがはっきりしている事案だったので、警察や検察官もストーリーが作りやすかったんでしょうね。被害者とされる方が“この人にやられました”と証言していること自体が重要な証拠として位置付けられており、確かに検察が出してきた証拠を見る限り、あえてそのような嘘をつくメリットもなさそうだ、と思わせる事件でした。被疑者は罪を認めず、そのまま裁判になったんですけど、第1回公判の前に、明らかに被告人の言い分の方が正しいと分かる「防犯カメラの映像」という決定的な証拠を見つけました。警察や検察はこの証拠を見逃していたんです」と言い、さらにそれが現場すぐ近くの“交番”に設置された防犯カメラだというのだから、衝撃は隠せない。

だが、そういったストーリーが出来上がっているにもかかわらず、國松弁護士はなぜ被告人の言葉を信じることができたのだろうか?

「実は私も防犯カメラの証拠映像が見つかるまでは半信半疑でしたが、どこかで、もしかしたらこの人は本当にやっていない可能性があるなと思っていたのも本当です。もちろん最初に“やっていない”と言っていても、何度も確認して粘り強く話を聞いていくうちに“実はやってました、ごめんなさい”と告白する人も中にはいますから、そのようなパターンも頭にはありました。ただ、この方はどの角度から話を聞いても最初から最後まで同じことを言っていたのと、複数いた被害者とされる方の供述調書が、整理されたお手本のようにあまりに揃っていて、直感的に口裏合わせの可能性があると感じていたので、本当に無実なのかもしれないという思いを持てました」。

國松弁護士は「日常的に起こっている軽微な犯罪にまで視点を広げれば、誰もがいつ冤罪に巻き込まれるかなんて分からないし、正直避けようがありません」と言う。だが、「そうなった場合はすぐに弁護士を呼ぶこと、弁護士には本当のことを話すことを勧めます」と教えてくれた。まさにこのドラマに込められた「思い込みで人が罪を犯したと決めつけてはいけない」というメッセージを体現したようなエピソードだ。

冤罪を生まないために作られたシステムとは?

日本国憲法には「無罪推定の原則」というものがある。何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定されるというものだ。なんとなく意味を知ってはいるものの、その根幹にはどんな真意が込められているのだろうか。

「そもそも人が人を裁くということ自体が、本当は無理があることじゃないかなと私は思っています。事件を実際に見ていない人が、後から判断しなきゃいけないというシステムが完璧であるはずがないし、間違いが起こる可能性は常にあるわけです。なのに、もしそこで間違いがあったら、1人の人生、あるいはその家族や友人の人生まで、大きく狂わせてしまうことになる。このようなリスクのある仕組みを取り入れる以上、無実の可能性を徹底的に排除し、100人に聞いて全員が間違いないと言える状況でもない限り、その人が犯人だとはいえないことにする、それを具体的に表している一つの言葉が『無罪推定の原則』だと私は解釈しています」。

さらに日本の刑事裁判というシステムについて、「人が作り上げたものだから間違いは当然起こる」とした上で、「その中で究極の選択をしなければいけないんです。例えば目の前に10人が被告人がいて、その中に1人だけ無実の人がいる。でもそれが誰かは分からない。このとき、1人の無実の人間を犠牲にして10人全員に有罪判決を下すのか、9人の犯罪者を取り逃すことになっても冤罪を生まないために全員を無罪にするのか。長い歴史の中でいくつもの冤罪が生まれ、それで苦しんだ人がいる。そのような多大な犠牲があり、日本は、後者の道こそ国民の権利を守るために必要だと判断し、選択したわけです」と教えてくれた。だからこそ「刑事司法制度の運用は堅くあるべきだと思っています」と、法を司る立場としての率直な意見を語ってくれた。

実は身近にある“冤罪”事件。ある日突然自分が被疑者になったとき、「明墨のような弁護士がいてくれたら…」と願わずにはいられないことだろう。『アンチヒーロー』で描かれている世界は現実社会と乖離しているようで、実は紙一重なのかもしれない。