「庶民の台所」からの移り変わり

今どきのお店でにぎわう栄町市場だが、現在の様子からは想像もつかない歴史がある。戦前には・女学校が建っていた。「ひめゆり学徒」が学んだ、「沖縄県立第一高等女学校」と、「沖縄県師範学校女子部」だ。


生徒たちは沖縄戦に動員されて多くが犠牲となり、校舎は瓦礫となった。

沖縄戦から4年後。復興が本格化し、区画整理が進むと、公営の市場、映画館や新聞社、公営バス。また料亭通りが設けられ、住居と店が混在する地域づくりの計画が進んでいった。

そして栄町市場は、「庶民の台所」として発展していく。



しかし 20年前から夜もにぎわいはじめ、コロナ禍以前には昼と夜の店舗が同じ数にまで増加。しかしコロナ禍を経て、昼に営業する店が減少していったという。

こうしたなか 「昼のマチグワーの景色も残したい」と、若い世代が中心になって昼の店を支えている。そのうちの1つが、1月にオープンしたての「削りたてかつお節専門店 だし出汁」だ。