内部告発者の野村元社員逮捕
そんな中、事態が急展開する。
「東京地検特捜部」に内部告発していた野村証券元社員が、あろうことか、同社が会見した翌日、3月7日、神奈川県警に逮捕されてしまう。
友人から運用のために受け取った現金200万円などを騙し取った詐欺の疑いだった。あまりのタイミング、予兆のない不意打ちだった。口封じのためなのか、身の危険を守るために拘束されたのかなど、さまざまな憶測が飛び交った。
元社員は詐欺の罪に問われ、二審で執行猶予付きの有罪判決が確定したが、公判では一貫して「無罪」を主張した。
元社員は神奈川県警港南警察署で勾留期限満期までの23日間を過ごした後、身柄を横浜拘置支所に移されると、本丸の野村証券について、事情を聞かれた。
司法記者クラブの西川永哲記者(TBS)は、その前年1996年夏頃から元社員に接触し、水面下で情報交換しながら、人間関係を築いてきた。その結果、元社員への独自インタビューに成功する。
元社員は「他局からの依頼には一切、応じていない」と西川に約束はしていたが、油断はできない。西川は元社員と緊密に連絡を取り合う一方で、捜査の進捗を見極めながら、他局に先駆けて放送するタイミングを探っていた。
そんな中、元社員のまさかの逮捕に、西川は動揺するが、勾留されていた横浜拘置支所を何度も訪ねて面会を繰り返し、頻繁に手紙でやりとりを続けるなど信頼関係を維持した。
「聞いた瞬間、別件逮捕かと思った。野村証券事件は結果的に総会屋の小池隆一から4大証券、第一勧銀、大蔵接待汚職に波及していくが、当初は同社の「VIP口座リスト」について事情を知るとされた元社員がキーマンだった。本人は逮捕されたが、前年夏に収録したインタビューは、なんとか放送にこぎつけた。ところが、放送した後に野村証券の広報の人と話をしていたところ、『西川さん夏服でしたね』と意外なことを言われた。つまり、インタビュー時の服装から私が半年以上も前から元社員と連絡を取り合っていたことを知り、相当驚いたようだ」(西川)

元社員の取り調べの担当検事は、元社員が1996年8月に東京地検特捜部に情報を持ち込んだときに、対応してくれた内尾武博(30期)だった。約半年ぶりの再会だった。半年前、内尾は「泉井石油商会事件」の主任検事で多忙を極めていたが、元社員には丁寧に対応していた。
内尾は、かつて「リクルート事件」のNTTルートで、主任検事の佐渡賢一(23期)(のちに証券取引等監視委員会委員長)から指示され、同社の社長室から押収した段ボール箱から、重要な物証を見つけた。それはリクルート社の江副浩正会長が幹部会議で使った発言草稿だった。その内容はNTTの真藤恒会長らへの贈賄工作を示すもので、事件の突破口となった。それ以来「ブツ読みの内尾」と呼ばれていた。
「泉井石油商会事件」が一段落したことから1997年3月27日、内尾はそれまで4年間務めた東京地検特捜部から横浜地検特別刑事部の主任検事として赴任した。
着任してまもなく、特捜部の主任検事の井内顕策(30期)から、「野村の元社員からVIP口座について話を聞いてくれないか」と依頼される。
井内と内尾はともに司法修習30期、気心の知れた間柄だった。内尾と入れ替わるように井内は4月1日付で特捜部に戻っていた。
「VIP口座」について内尾には思いあたるフシがあった。リクルート事件の直前に、野村証券と大和証券のOBが「特別口座」、いわゆる「VIP口座」で特別に優遇すると客を誘い、実際には優遇していなかったという詐欺事件を立件したことがあったからだ。
井内と内尾は頻繁に連絡を取り合った。特捜部は野村証券が「総会屋」など反社会勢力のみならず、政治家や官僚に対しても不正な利益供与をしてないか、強い関心を持っていた。もし「国会議員」や「キャリア官僚」の職務権限に関する利益供与があれば、大掛かりな贈収賄事件が潜んでいるかも知れない。
しかし、結果的に、野村証券の「VIP口座リスト」には、政治家や官僚、暴力団などの顧客の名前はあったが、いずれも事件につながるような利益供与の形跡は見つからなかった。いい筋だと思っても、すでに時効にかかっているケースが多かったのだ。
主任検事だった井内顕策はこう振り返る。
「それなりの野村証券の顧客なので、VIP口座というふうになっていたが、実際にどこまで特別優遇しているかどうかは、はっきりしなかった。メディアの報道も含めてVIP口座という名前だけが一人歩きすることになった」
内尾は野村元社員に、不正に関与した役員や幹部社員ら当事者の「相関図」をチャートにして提出させ、事情聴取を終えた。友人に対する詐欺の罪に問われていた元社員の勾留期間は、最終的に400日以上という長期に及んだ。
元社員が逮捕されたことから、関係者からは元社員の告発内容の信憑性を疑う声もあったが、特捜部の捜査の進展とともに、告発内容が極めて正しかったことが徐々に裏付けられていった。
(つづく)
TBSテレビ情報制作局兼報道局
「THE TIME,」プロデューサー
岩花 光
◼参考文献
村山 治「市場検察」文藝春秋、2008年
読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」新潮社、 2000年
司法大観「法務省の部」法曹会、1996年