高校を卒業し、2016年に当時男子チームしかなかったトナミ運輸に唯一の女子部員として移籍。富山県高岡市内で一人暮らしを始めました。

2017年、当時20歳の大堀は、3年後の東京オリンピックを目指して富山で練習に励んでいました。

大堀彩選手:
「東京オリンピックが1番の夢で、それを本当に達成したいと思っているので、トップ選手と互角に戦える実力を今年・来年でつけていきたい

しかし、日本のA代表に選出されるも、世界トップをゆく山口、奥原を超えることができず。東京オリンピックの夢も途絶え一時は引退も考えたといいます。

それでもラケットを振り続けたのは…。

大堀彩選手:
「やめるのは簡単だったと思うんですけど、やめたいっていう気持ち以上に悔しさっていうほうが上回っていたので、ここまでなんとか踏ん張ることができてよかったなと思ってます


大堀が夢を諦めなかった理由の1つ。自身もトナミ運輸の元バドミントン選手、いまはチームのヘッドコーチを務める父・均さんの存在です。

大堀が加入した1年後に均さんも高校の教諭をやめ、トナミ運輸のコーチに。苦しい時も嬉しい時も父親と二人三脚で歩んできました。

大堀彩選手:
「私のバドミントンの土台をちっちゃい頃から作ってくれて、オリンピックレースも最終戦まで一緒に帯同してもらって。振り返ると本当に長かったですけど、もうその夢舞台に一緒にたどり着けて本当によかったなって思ってます」