多少の謎を残しつつ…
最後に訪れたのは、同じ川本町の志谷川橋りょう。
漢字の「目」の形なので、「目の字ラーメン橋」と呼ばれます。

島根県技術士会鉄道遺構研究分科会旧三江線グループリーダー 酒井雄壮さん
「これ目の字にしてストラット(横梁)で左右を結ぶことによって、非常に薄い壁で済んでいる、強度を持たせていると。」
目の字ラーメン橋は戦前に開通した川本町内に2つあり、島根県技術士会の研究報告に論文がまとめられています。
入江記者
「構造的に簡素になるということですか?」
酒井さん
「簡素になって非常にコンクリートも節約できると。」
入江記者
「コンクリートが高かった?」
酒井さん
「コンクリートは当時非常に貴重でしたね。ですからコンクリート量を減らすことが一番のメリットだということで。」
アメリカで直前に発表された工法を国内で初めて応用したと見られます。