「いろんな経験をしてるからこそ」が強み
武器となる自身の瞬発力の秘訣はボート競技時代の感覚だという。
太田:
ボートしていた時の感覚がすごい、良いのかわかんないんですけど、ボートって右と左でオール持って、足でボートを蹴って進ませるんですよ。それが、左右ちょっとでもずれてると、右の方が強かったら左に進んでいく…そういう、細かい感覚でボートに常に乗っていたので、自転車の体の使い方とかもより、カメラで言ったらより解像度を上げてじゃないけどより細かくタッチすることを意識してやっていて。それが今の僕の武器である瞬発力だったり、その瞬発力を長く、瞬発力から出たスピードを長く維持するものに繋がってるのかなっていうふうに思う。
競技を始めて3年と驚くべきスピードでトラック短距離の第一人者に駆け上がれたのは“太田海也”だからこそでもあった。
太田:
自分の強みに全て変わってるじゃないですけど、逆に自転車競技に高校生で出会ってたら、このレベルまでは絶対来れてないですし、ボート競技があったからとか、現場仕事をしてとか、あとはサイクルショップで働いた経験があるとか、ロードレース大会に一生懸命勝ちたいと思って出てた経験があるからこそ、全てそういう経験が今の競技に繋がってるじゃないですけどそういう経験をせずにここまで来ると多分、ここまで絶対来れなかったなっていうふうに思う。自分の強みとしては、いろんな経験をしてるからこそ、何か自分が強くなるための方法、強くなる方法をより多く知ってるのかなっていうふうに思うし、自分の弱みとか自分の強みっていうのもより深く理解してるんじゃないかなっていうふうに思う…僕の中では一番そういう所が強みに変わってるじゃないですけど、自転車を心の底から楽しいと思える理由になってるというか、いろんなこと経験したから、自分が自転車好きっていうのがわかるというか、そんな感じに思いますね。
そんな太田は満面の笑顔で自転車競技の魅力を語る。
太田:
見る方の魅力では最大スピードで言ったら85キロぐらいのスピードになるので、実際に見てもらうと大迫力ですし、その中ですごい傾斜がある、傾斜がある中で、人と人が競い合う。しかも生身の体でヘルメット1つでっていう所で本当に“人間最速のスピード”を見えるという部分では、同じ人間として見てもらうと興奮するんじゃないかなっていうふうに思いますね。
パリ五輪で「必ずメダルを取って日本に帰ってきたい」想い
今まで支えてもらった人に対しての想いも背負ってパリ五輪の舞台を目指す。
太田:
やっぱりメダルっていうものを結果を形に残して持って帰れるものって言ったらメダルになってきて、それをこのチームに持って帰ってきたいっていう気持ちと、地元の師匠だったり、お世話になった人たち、サイクルショップだったり、本当に今日までの集大成というかパリ五輪までの集大成として、形として持って帰りたいなっていうふうに思います…まだ今の現段階ではパリオリンピックに出場できるかどうかっていうのがまだわからないんですけど…出るっていう強い気持ちで日々練習してる中で、パリ五輪に出たときの想像してみると、必ずメダルを取って日本に帰ってきたいなっていうふうに思ってます。
太田海也(おおた・かいや)
チーム楽天Kドリームス / 一般社団法人 競輪選手会 岡山支部
1999年7月27日生 岡山・備前緑陽高~日大~サイクルショップ フリーダム~一般社団法人競輪選手会
パリ五輪イヤーへ向けては23年アジア大会でスプリントとチームスプリントで金メダル、24年ネーションズカップではスプリントの第1戦・第2戦で金メダル、ケイリンの第2戦金メダルと一躍、金メダル候補に。趣味は自ら淹れるこだわりのコーヒーと植物鑑賞。

















