「はと」定期運行・最後の雄姿も「ボンネット型485系」

そして次に現れたのは「特急はと」です。【画像⑦】はヘッドマークのアップ映像から抜き出しました。図柄などはなく「はと HATO」の2行のみ...シンプルイズベストです。

ちなみに、かつて韓国には各駅停車にあてられた「ピトゥルギ(ハト)」という名称がありましたが、日本の「はと」は、岡山県立図書館で片っ端から文献を繰ってみたところ、なんともともとは「満州生まれ」の急行列車だったんだそうです。

【画像⑦】ヘッドマークはシンプルイズベスト 盛田シンプルイズベスト

その「はと」は、戦後に「つばめ」とともに「東京~大阪間」の特急として復活し活躍。東海道新幹線の開業後は「新大阪~博多間」の列車になり、新幹線・岡山開業後は「岡山~下関間」を結ぶ特急となっていました。

【画像⑧】は、線路上から煽って撮影した「はと」最後の雄姿。テレビカメラもここから撮っていたということは、当時ちゃんと国鉄も「線路上からの撮影」を許可を出していたということなんでしょうね。時代。

【画像⑧】

なお、1975年に姿を消した特急「はと」は復活は果たしていませんが、リバイバル運転で何回か復活しているということです。

「485系」車内&運転席はどうなっていた?

この「はと」の当時の映像の流れで、貴重な車内の光景も残されていました。【画像⑨】は、その車内の様子です。ブルーとおぼしきシートに、白のカバー。大きな荷物も網棚に載せられ、古き良き時代の旅情を掻き立てられます。

【画像⑨】

そして【画像⑩】は運転席。こちらを見ても、鉄道に詳しくない筆者は「膝、狭そうだなぁ」くらいしか分からないので、Yahoo!からご覧の方は、どんな特徴があるのかなど、コメント欄に頂けると幸いです。

【画像⑩】