西郷隆盛のひ孫も「あらららら。えーっ」

一方、隣の玉東町(ぎょくとうまち)にある高月官軍墓地は、町が必要に応じて墓の建て替えなどを進めています。

玉東町職員 宮本千恵子さん「(遺族から)『こんなに綺麗にしてくださってありがとうございます』と言われた時はうれしい」

なぜ管理する自治体によって対応が違うのか。

理由の一つは「史跡西南戦争遺跡保存活用計画」です。

宮本さん「史跡として、どのように後世に守り伝えていくかという方針をうたったものです」

玉東町は、国による史跡指定から3年後、計画を文化庁に提出。10年ごとに見直す予定です。

文化庁は2018年の法改正で、史跡を管理する自治体などが「保存活用計画」を国に申請できる仕組みを整えました。

計画を作ることで、修繕などをする時に、国の補助金をスムーズに受けられるメリットもあるということです。

計画の作成は義務ではないものの、文化庁は…

文化庁「保存や活用が行き当たりばったりにならないように、きちんとした計画が必要」

こう述べて、作成を促しています。

しかし熊本市は、田原坂公園などが国の史跡であるにも関わらず、この計画を作っていません。また、同じ官軍墓地でも、玉東町が国の史跡なのに対し、熊本市は県の史跡のまま。

熊本市は国史跡への追加指定を目指しますが、現状では県に対しても保存や管理に関する計画を提出していません。

熊本市文化財課 赤星雄一 副課長「熊本地震の発生などで、そちらに人的な部分を割けなかったことが要因の一つ。修復などについては県の補助を受けて行うが、予算的な部分も課題になっている」

こうしたことが、墓の修復に影響しています。

この状況をどう思うのか。

追悼式の後、薩摩軍を率いた西郷隆盛の “ひ孫” である隆文(たかふみ)さんに、官軍墓地を見てもらいました。隆文さんは現場を見て次のように驚きを隠せませんでした。

西郷隆盛のひ孫 西郷隆文さん「あらららら。えーっ」

記者「結束バンドで…」

西郷さん「留めてあるんですね」

西郷さん「きちんとしてあげてほしいですよ。『倒れたから』『壊れたから』ってそのままにしておくのはダメですよ」

地元や遺族からも同様の声があり、熊本市は重い腰を上げるようです。

赤星副課長「令和7年から8年(2025~26年)にかけて西南戦争遺跡の保存活用計画を策定する予定です」

3年後には、150年の節目を迎える西南戦争。この戦いの記憶をどう後世に伝えていくのか、その姿勢が問われています。