東日本大震災が発生してから13年。ともに福島県の出身で、音楽ユニットも組んでいるクリエイティブディレクターの箭内道彦さんとサンボマスターの山口隆さんが、震災時を振り返り、“ふるさと”のために今、「クリエイティブにできること」を語り合った。
「こういう場所に、これだけ人を集めて、なんなんだお前は」
──箭内さんを実行委員長として2011年9月14日から19日の6日間、福島県を西から東に横断した野外ロックフェスを行い、山口さんもサンボマスターとして、猪苗代湖ズとして、ままどおるズとしてもステージに立った。このフェスには約2万人が訪れ、その様子はYouTubeでも生中継された。東日本大震災が発生してから約半年。そのタイミングでフェスを開いた意義とは。

箭内道彦:
(ライブの様子を見ながら)この時の僕の(撮影する上での)ディレクションは、サンボマスターをもちろん映してほしいんだけど、「お客さんの表情をとにかくたくさん撮ってください」って言った。これすごく大事なんです。やっぱり音楽って鳴らしてる人だけではなくて、聴いてる人も一緒に表現なんだよね。
山口隆:
この時はちょっともう…俺たちも箭内さんも、普通ではなかったね。
箭内:
いや普通じゃなかったね。多分コンサートをやること自体、“人殺し”とかって言う人もいた頃だからね。「こういう場所に、これだけ人を集めて、なんなんだお前は」っていう。放射線量もしっかり測って開催したんだけどね。
山口:
今から思うと俺たちは箭内さんのおかげもあって、本当に一生懸命やることができたのよ。だけど箭内さんは…結構(批判を)受けたよね。箭内さんは俺らに言わなかったね。
箭内:
いやあ言わなかったっけ。
山口:
言わなかった。泣いてばっかり(笑)
箭内:
人に言うと、保てなくなっちゃうような時でした。