東日本大震災から13年、そして元日の能登半島地震から2か月。地震と原発の問題を考えます。国の原発政策は今どうなっているのか。東北と北陸で取材しました。

トラブル続出 志賀原発 公開も…

村瀬健介キャスター
「志賀原発が見えてきました。地震から2か月あまりが経ってようやく私達メディアの取材が認められました」

最大震度7を観測した石川県志賀町。北陸電力志賀原子力発電所には1号機と2号機があり、地震の前から運転を停止していた。

しかし敷地内では、地面に亀裂が入り、外部から電源を受けるための変圧器で油が漏れるなどトラブルが相次いだ。

地震発生後、初めて内部が公開されたのだが…

村瀬キャスター
「1号機の油漏れが起きた変圧器の現場ですが、油漏れが起きた部品は、すでに外されています。下に漏れた油もすでにきれいに片付けられています。また、私達こちら立ち入りは許されているのですけれど、撮影する方向が厳しく制限されていまして、この後ろ側、一切撮影できないということ。それとですね、カメラ1台につき電力会社の社員が1人ついて、制限エリアを撮影していないかを確認するという厳しい制限が付けられ取材が行われています」

次に案内されたのは、先月、空から撮影した際、ブルーシートがかかっていた2号機の変圧器だ。

村瀬キャスター
「こちら撮影が大変厳しく制限されていまして、後ろ側と、こちら側の撮影が制限されています。この場所で変圧器の油漏れが起きました。ちょうどこの大きな機械の奥に銀色の紙が見えていますけれども、あの場所が油漏れが起きた故障箇所だということです。下を見ても油が漏れている様子はいまは見えません」

油漏れをめぐっては北陸電力の説明も二転三転した。当初、約3500リットルと発表したが、実際は5倍超の約1万9800リットルだった。

油は敷地内にとどまっていると説明していたが、のちに一部が海に漏れ出ていたことも明らかになった。

津波に関しても水位計に有意な変動はみられないと説明していたが、のちに1mから3mの津波が複数回、到達していたと訂正した。いま原発に問題はないのか?北陸電力は…

北陸電力土木建築部 吉田進部長
「全て改善しております。なので、いろいろそういったところは全て機能上、仕様上は全て問題ありません」

そもそも志賀原発は建設・運転をめぐる裁判で差し止め判決が出た過去がある。1999年8月、2号機の工事に着工した直後、地域住民ら135人が身体への危険を及ぼす可能性がある、などとして、北陸電力を相手どり提訴した。

係争中の2006年3月15日、2号機は営業運転を開始したが、9日後、金沢地裁が原告住民の主張を認め、2号機の運転差し止めを命じる判決を下した。

当時、裁判長だった井戸謙一さんが、18年ぶりに志賀原発を訪れた。

能登半島の断層帯でマグニチュード7.6程度の地震が30年以内に2%の確率で起こるという国の評価を受け判決を下した。

その1年後、能登半島では最大震度6強の地震が起きた。

志賀原発差し止めを命じた 井戸謙一元裁判長
「実はびっくりした。さらに今回これでしょ。だからもう2回も大きな地震に襲われているんです。そういう意味では、僕自身の認識もまだまだ甘かったというふうに思います」

村瀬キャスター
「裁判官としてこの巨大な施設の運転を差し止める判断をするのは、大きな重圧だったのではないですか?」

井戸謙一元裁判長
「私はこの原発の運転については、具体的危険があるということを住民側が立証する責任があるのではなくて、電力会社側がそれ(危険)がないということを立証しなければいけない。それを北陸電力が立証できているのかどうか、この訴訟において。やっぱり立証できてないと判断するしかない。差し止めというドラスティックなものであっても、その通り判決を言い渡すのが裁判官の仕事だと」

だがこの裁判はその後、最高裁で住民側の敗訴が確定した。能登半島地震を受け、原発周辺の住民がいま不安に思っていることとは…