避難指示解除のエリアも その他は除染の見通しを示さず
小川彩佳キャスター:
(福島第一原発の事故から)13年が経ちましたけれども、帰還困難区域の除染は進んでいません。そして今後、避難指示解除を目指す場所も部分的になっている。どうして、この状況になっているんでしょうか。

取材担当 テレビユー福島 木田修作 記者:
そもそも国は「復興の足がかりにするんだ」ということで、特定復興再生拠点区域というものを設け、2023年までに避難指示を解除してきました。しかし、それ以外については、除染の見通しを全く示していませんでした。
これが予算の問題なのか、あるいは人手なのか、はたまた一番汚染が激しいエリアなのか、国から明確な説明は今もありません。
2029年までに避難指示の解除を目指す区域はまだらなんですが、これは住民たちが「拠点外も早く除染して解除してくれ」と13年間訴え続けてようやく勝ち取った結果、とも言えます。
ただ、まだらに解除しても、かつてのような生活というものは望めないばかりか、孤立した生活というのも予想されています。
小川キャスター:
なぜ、これだけ時間がかかっているのか、困難が生じているとすれば何が困難なのか、除染の優先順位などの見通しについても具体的な説明がない。そんな中で、住民の皆さんは置き去りにされているという状況がずっと続いているわけですね。

日本総研主席研究員 藻谷浩介さん:
非常に残念です。やはり我々、東京で(福島第一)原発の電気を使っていた側の人間は、国も含めて、「これ恥ずかしいことだよ」と思わないといけないと思いますよ。
この津島地区というのは象徴的な場所なんです。たまたま街道筋で、風通しが非常にいいところで、(原発事故)当日に東風で風が強く抜けたところなんです。そのために、強く汚染されてしまったんですが、原発から遠く離れています。複雑な形になってるので浪江町に入ってますけど、本来は山の中の別の村だったところです。
そして、浪江町には原発はありませんでした。浜通りで原発のなかった浪江町のさらに山奥の山村が一番ひどい被害を受けてしまった。このことに関して、原因を作った側としては最優先で、本当は除染をするべき場所です。
私には地元出身の人に知り合いもいるんだけど、ものすごく山菜やキノコが豊富で、大変暮らすのに良い場所で、かつ幹線道路沿いなので、通った人は福島県内に多いはずです。長らく通行止めになってましたけど、普通に通る場所だったわけです。
ある意味で一番の被害者です。つまり象徴的な被害者なので、象徴的に優先すべきだったと僕は思います。原発の受益をしてない人たちなんだから。
その一番奥であるがために、13年経ってこの状況で、進むのを諦める雰囲気が漂ってくるじゃないですか。このこと自体が非常に残念です。