東日本大震災の後、東京から宮城県東松島市に移り住み、防災を学べる体験型宿泊施設を運営するとともに今回の能登半島地震ではいち早く被災地にかけつけて支援を続ける女性がいます。

「あの日」何が起きたのか

東松島市にある「キボッチャ」。津波の被害を受けた旧野蒜小学校の校舎を改修した体験型宿泊施設です。

代表の三井紀代子さんです(51)。2月下旬、関東から研修に来ていた人たちに東日本震災で何が起きたのか話しました。

キボッチャ代表 三井紀代子さん:
「この野蒜小学校では、校舎の中では被害に合われた方はいませんでしたが、すぐそばの体育館では、残念ながら犠牲になった方がいらっしゃるんです」

当時、野蒜小の体育館では住民などが避難するなか、3mの津波が押し寄せ多くの命が奪われました。

キボッチャ代表 三井紀代子さん:
「(野蒜小学校でも)1階はもう津波が押し寄せてきて、天井からちょうど10センチ下くらいまで津波が滞留していたので1階はほどんど壊滅状態です」

三井さんは元自衛官

山口県出身で、航空自衛隊の自衛官を経て、当時は東京でIT関連会社を起業していた三井さん、被災地を支援しようと東松島市に移住し、自衛隊時代のOBと復興に携わりました。

がれき処理などのボランティアをしている時、大事なことに気付いたと言います。