戦争の記憶を未来につなぐニュースをお伝えする「NO WARプロジェクト つなぐ、つながる」です。太平洋戦争の激戦地フィリピンでは、日本人移民の父をもつ多くの子供たちが取り残されました。戦争に翻弄された残留2世が今、願うこととは。
フィリピンのマニラ郊外に住む賀数アデライダさん(90)。戦前、沖縄からフィリピンに渡った父・昇さんとフィリピン人の母との間に生まれました。
残留2世 賀数アデライダさん
「(父は)クリスマスの時期になると、プレゼントや服を買ってくれて…。とても優しく育ててくれました」
当時、アメリカの統治下にあったフィリピンには、2万人を超える日本人が移住。賀数さんも日本語を学びました。
しかし、太平洋戦争で旧日本軍が侵攻したフィリピンは激戦地となり、日本軍に徴用された父は家族と離れ離れに。父は日本へ強制送還され、終戦から6年後に亡くなりました。日本から家族に宛てた手紙には…
父・昇さんの手紙
「家族をフィリピンに残してきたのは大きな過ちでした。もし皆で一緒に暮らせたら…、ああ神様」
賀数アデライダさん
「父のことを思い悩んだ母は病弱になり、食べる物もありませんでした。(フィリピンの)親戚でさえ日本人を憎み、私もいじめられました。戦争のせいで…」
賀数さんのような残留2世は、“忘れられた日本人”と呼ばれてきました。戦前の法律では、子どもの国籍は父親によって決まりましたが、多くの2世が戦争で父とのつながりを示す記録を失い、無国籍の状態に置かれたのです。
賀数さんは日本のNPOに日本国籍の取得の支援を依頼。調査によって両親の婚姻証明書などが見つかり、今年、日本の裁判所から国籍取得が認められました。
賀数アデライダさん
「長い時間がかかりましたが、日本人であることを誇りに思っています」
ただ、裁判所による認定のハードルは高く、これまでに把握された残留2世3800人のうち、NPOの支援で国籍を取得できたのは332人にとどまっています。
フィリピン日系人リーガルサポートセンター 猪俣典弘 代表理事
「未だにフィリピン残留日本人2世の場合は、支援するという法律、法整備がなされていない。残留2世にとって戦争は終わっていないんだと」
ダバオの郊外に暮らす松田エステルリタさん(推定94歳)。日本人の父に関する資料を処分せざるを得ませんでした。
残留2世 松田エステルリタさん
「日本人の子は皆殺しにされる(と言われ)、(日本人であることを)隠して生きてきました」
いつかは、日本人と認められたい。厳しい戦後を生き抜いてきた2世に残された時間は長くありません。
松田エステルリタさん
「できるなら日本(父の故郷)を訪れて、父の親族に会ってみたい。父はとても愛してくれたから…」
松田さんの娘
「いつか母の夢が叶うことを願っています」
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