(ブルームバーグ):サッカーのワールドカップ(W杯)でアルゼンチンが物議を醸した逆転勝利でエジプトを破った一戦後、敗れたエジプト側は、試合は「八百長」だったと主張した。そんな中、機知に富んだSNS投稿がその時の空気を見事に言い表した。
「大英博物館でさえ、FIFA(国際サッカー連盟)ほどエジプトから多くを奪わなかった」。X(旧ツイッター)ユーザーの「Intrapiernoso」が投稿したこの一文は、600万回以上閲覧された。この大会で数多く生まれた名言の中でも、ひときわ秀逸だったと言える。
ただし、原文は英語ではない。実際の投稿はスペイン語で、「Ni el Museo Británico le robó tanto a Egipto, como la FIFA.」と書かれていた。私はスペイン語を話せないし、「el Museo Británico」が大英博物館を意味することは容易に分かるものの、見慣れない文法を解読しようとする時点で、このジョークの切れ味は失われてしまう。
しかし今では、大規模言語モデル(LLM)が生成する自動翻訳とSNSのアルゴリズムによる拡散のおかげで、私は母語である英語でこの投稿を読めるようになった。
この投稿はペルシャ語とアラビア語、韓国語が母語のユーザーにも共有されており、そうした言語圏では「el Museo Británico」という表現はさらに理解しづらいかもしれない。
W杯は4年に1度開催され、そのたびにテクノロジーの変化を強く実感させられる。2006年大会で私はポッドキャストを聴き始め、2022年大会ではテレビに縛られることなく、アップルの「iPad」でどこでも試合を無料で視聴した。
そして今回は初めて、言語の壁を取り払い、他国の人々がサッカーについて何を語っているのかを、その人たち自身の言葉を通じて知ることができた。
これは議論を民主化すると同時に、アルゼンチンを皮肉るフランスのユーモアや、自国代表の不振をカトリック信仰の衰退に結び付けるブラジル人の語り口など、多様な文化圏の機知を明らかにしている。
同時に、人々の共通点も浮かび上がる。最も激しいライバル関係は、多くの場合、近隣諸国との歴史的な遺恨に根差しており、米アニメ「シンプソンズ」を題材にしたサッカーミームは国境を越えて共有されているようだ。一方で深刻な側面もある。
フランス代表のキリアン・エムバペは、自身を人種差別的な投稿で攻撃したパラグアイの上院議員に対する反論をフランス語で投稿した。それも大会全体で最も多く閲覧された投稿の一つとなり、約9000万回の閲覧を記録した。
AIが私たちをどこへ導くのかを警戒するのはもっともだ。しかし、人類の歴史と同じくらい長く人々を分断してきた言語という問題を、私たちは解決しつつあると考えると、謙虚な気持ちにもなる。
旧約聖書「創世記」では、大洪水の後、「全地は一つの言語、一つの話し言葉であった」とされる。物語によれば、人類は一致団結して天に届く「バベルの塔」を建設しようとした。
その傲慢さへの罰として、神は人々の言葉を混乱させ、人類を世界中へ散らした。これは、同じ人類でありながら互いに意思疎通できない理由を説明する起源神話である。
ユニバーサルトランスレーター
しかし今では、何十年も外国語学習に費やすことなく、私たちはほぼ瞬時に大規模なコミュニケーションができるようになりつつある。このテクノロジーはSNS投稿の翻訳にとどまらない。
情報をより自由に流通させ、情報へのアクセスを支配してきた門番を取り除き、一般の人々が最新の学術論文にも直接アクセスできるようになる。そして、世界的な言論空間における英語圏の支配力も弱まるだろう。
音声でも同様の飛躍が訪れようとしている。今後数年間で、アップルの「AirPods」によるリアルタイム翻訳と、人間のような話し方ができる「ChatGPT」の最新音声モードのようなテクノロジーが組み合わされ、「スター・トレック」のユニバーサルトランスレーター(万能翻訳機)に近いものが実現するだろう。
もちろん、それが無条件に望ましいこととは言えない。筋肉と同じように、第2言語を話す能力も使わなければ衰える。現時点ではXには翻訳対象から除外する言語を指定する機能があるが、このテクノロジーが普及すればするほど、翻訳はユーザーの母語を標準とする方向へ進んでいくだろう。
LLMは決して完璧ではない。特に日本語のように主語や目的語が文脈から省略されることが多い言語では、その傾向が顕著だ。今のところXのAI「Grok」はためらうことなく断定的に翻訳するが、人間なら解釈に一定の留保を付ける場面もある。
互いの言葉を理解できても、それだけで共通の理解に至るとは限らない。文章の翻訳だけでは、皮肉やタブー、軽口、あるいはネット上の挑発的な投稿まで完全には伝えられない。そのことを認識するのにW杯ほどふさわしい場面はない。
19世紀末から20世紀前半にかけて活躍したアイルランド出身の劇作家バーナード・ショーの言葉とされる「共通の言語によって分断された二つの国」という表現が示すように、米国人と英国人は同じスポーツを巡っても互いに話がかみ合わないことがある。
どれほど言語能力が高くても、多くの米国人が、米プロバスケットボールNBAのレブロン・ジェームズや米プロフットボールNFLのトム・ブレイディがサッカーに転向すればW杯で優勝できると本気で考えているように見えるという現実は変えられない。
恐らく最大の懸念はここにある。現代の研究者の中には、バベルの塔の物語で人類がさまざまな言語を話し、世界中に散っていったことは罰ではなく祝福だったと主張する人もいる。
文化的多様性をもたらし、中央集権的な帝国を分散させたという考え方だ。インターネットの普及によって世界は狭くなり、単一文化へと押し込められつつある。同じことがユーモアにも起きるかもしれない。地域固有の違い、とりわけ小規模な文化は、より大きな言語や広く伝わりやすい引用表現に取って代わられる可能性がある。
AI翻訳はそうした境界を曖昧にするかもしれない。それでも、何千年もの間互いを理解できなかった人類が、ようやくジョークを共有できるようになったという事実は、それだけで奇跡に近い出来事のように感じられる。
(リーディー・ガロウド氏はブルームバーグ・オピニオンのコラムニストで、日本と韓国、北朝鮮を担当しています。以前は北アジアのブレーキングニュースチームを率い、東京支局の副支局長でした。このコラムの内容は個人の意見で、必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの見解を反映するものではありません)
原題:World Cup AI Tweets Rebuild the Tower of Babel: Gearoid Reidy(抜粋)
もっと読むにはこちら bloomberg.com/jp
©2026 Bloomberg L.P.