イランでの戦争が始まってからわずか数週間後、ペルシャ湾有数の産油国の一つアラブ首長国連邦(UAE)は、ホルムズ海峡を通じた原油輸送をひそかに再開していた。

その秘密裏の輸送計画は間もなく大きな成果を上げ、米国とイランが暫定和平合意に署名した時点で、UAEは同海峡を通過する原油輸送量を戦前に近い水準まで回復させていた。

UAEがホルムズ海峡から原油を安全に搬出するために積極的に採用した手法は、イランやロシア、ベネズエラなど制裁対象国が通常用いているとされるものだ。タンカーはトランスポンダー(位置情報発信装置)を停止したまま航行し、多くの場合は実際の夜間の闇に紛れ、海峡の外で待機する別のタンカーに積み荷を移した後、再び海峡内へ戻って原油を新たに積み込んでいた。

ただ、UAEのアブダビ当局には、危険を伴う航行を一度だけでなく何度も繰り返せるだけの十分な数の船舶が必要だった。その支援を求めた相手が韓国の海運王で、長錦商船(シノコー)の原油タンカー事業、長錦マリタイムを率いる鄭佳賢氏だった。

徹底して表舞台に姿を見せない鄭氏は、長錦グループが今年初めに前例のない規模でタンカーを買い集めたことで、海運業界に衝撃を与えた。ブルームバーグは3月、イランでの戦争による原油取引の混乱でタンカー運賃が急騰する中、鄭氏がその恩恵を受ける最大級の勝者の1人になる可能性があると報じていた。

長錦は現在、ペルシャ湾から原油を運び出す超大型原油タンカー(VLCC)の有力船主として台頭している。

長錦は少なくとも4月半ば以降、アブダビ国営石油会社(ADNOC)に対し、海峡内外を往復する「シャトル輸送」向けに船舶の貸し出しを開始した。船舶追跡データを分析するボルテクサのデータによると、6月にはUAE産原油の輸送量のほぼ半分が、長錦の管理下にある船舶で運ばれていた。

この記事は、ブルームバーグが集計した船舶追跡データに加え、ボルテクサおよび大手分析会社ケプラーのデータ、十数人に上る船舶ブローカー、トレーダー、業界関係者への取材に基づいている。長錦が位置情報を隠した航行のために船舶を貸与する上で果たした役割の規模が明らかになるのは今回が初めてだ。

長錦グループにコメントを要請したものの、返答は得られていない。一方、ADNOCの海運・物流部門であるADNOC L&Sは、自社船舶の位置や航行、航路に関する事項にはコメントしないとした上で、「自社保有船と用船を含む大規模な船隊を運航している」と説明した。

ADNOCは自社保有船や他社所有のタンカーも活用していたが、長錦との契約は、UAEがペルシャ湾岸の近隣諸国よりもはるかに速いペースでホルムズ海峡経由の輸出を拡大する上で鍵を握った。

これにより、ADNOCは戦争初期に急騰した原油価格の恩恵を享受できたほか、海峡封鎖が世界の原油供給に及ぼす影響の緩和にもつながった。米国とイランの暫定和平合意後は、トランスポンダーを作動させた状態でタンカーが公然とホルムズ海峡を航行するようになり、ADNOCは輸送量をさらに拡大している。

一方、こうした契約は長錦や鄭佳賢氏、さらに長錦マリタイムの新たな共同オーナーとなった海運大手MSCグループにとっても巨額の利益機会をもたらしている。原油タンカー市場にとって、今年は過去最高水準の収益性を記録する年となっており、船舶ブローカーによると、戦争中にペルシャ湾に航行する際のプレミアム運賃は、戦前の3-4倍に達した可能性がある。

契約条件は公表されていないが、4月半ば以降にわずか3隻のタンカーがシャトル輸送に従事しただけでも、長錦は約6000万-1億2000万ドル(約97億-194億円)の収益を得た可能性があると船舶ブローカーは推計している。

米国とイランの暫定停戦が発効して以降も、長錦は原油積み取りに備え、超大型タンカーを相次いでペルシャ湾へ送り込んでいる。その中には、積み荷を陸揚げした後、再びペルシャ湾に戻った船舶が少なくとも2隻含まれる。対象はUAE産原油にとどまらず、同社は湾岸地域の他の原油輸送案件の獲得を目指し、船舶ブローカーに積極的にサービスを売り込んでいる。

ケプラーの主席運賃アナリスト、マット・ライト氏は「イランでの戦争中の長錦の動きは画期的だ」と指摘。「交渉力を高める市場環境を自ら作り出すことで、全ての船主の運賃水準を押し上げている。また、多くの船主が依然として慎重な市場にも積極的に進出し、その結果として市場回復の初期兆候が見られる」と述べた。

大胆な賭け

巨大な存在感を放つ人物が多い海運業界にあっても、鄭佳賢氏の大胆な投資判断は際立っている。

ソウルに本拠を置く長錦は、もともとコンテナ船事業からスタートし、その後、原油タンカー事業にも進出したものの、当初は比較的小規模な事業者にとどまっていた。その状況は昨年後半に一変する。MSCグループの支援を受け、VLCCの購入や用船を相次いで進めたためだ。

業界推計によれば、長錦は2月終盤時点で約150隻のVLCCを実質的に運用していた。これは、制裁対象となっている船舶や長期契約、定期航路に従事している船舶を除いた世界のVLCC船隊の約40%に相当する。

米国が今年初めにベネズエラ産原油の取引を認めるライセンスを発給すると、長錦は市場に大量の原油が流入すると見込み、自社が管理する複数のVLCCを米メキシコ湾岸やカリブ海に向かわせた。一時は、30日以内に米メキシコ湾岸に到達可能な利用可能なVLCCのほぼ全てを同社が押さえていた。

長錦による積極的な船舶確保に加え、原油輸送量の増加も重なり、米国とイスラエルによるイラン攻撃で世界で最も重要な原油輸送ルートのホルムズ海峡が事実上閉鎖される前から、タンカー運賃は急上昇していた。3月初めまでに運賃は大幅に値上がりし、世界の船隊の相当部分がペルシャ湾内に足止めされるとの現実を市場が織り込む中、過去に例のない水準に達した。

ブルームバーグは3月、長錦が戦争勃発前の数週間に少なくとも6隻の空荷のVLCCをペルシャ湾へ送り込んでいたと報じた。これにより、域内の原油貯蔵能力が逼迫(ひっぱく)する中、同社はそれらの船舶を浮体式貯蔵設備として日額ベースで極めて高額な運賃で貸し出すことが可能になった。

ほぼ同じ時期には、MSCとの提携の詳細も明らかになった。世界最大のコンテナ船会社であるMSCは、長錦マリタイムの株式50%を取得した。

信号オフ

戦争初期、ホルムズ海峡を航行する船舶はまばらで、その大半はイランと関係のあるタンカーが占めているように見受けられた。一方、UAEとサウジアラビアは、ホルムズ海峡を迂回(うかい)するパイプラインを利用し、原油輸送をオマーン湾や紅海の輸出ターミナルに速やかに振り向けた。

多くの船主や乗組員がホルムズ海峡の航行は危険過ぎると判断する状況にあって、少なくとも1社、ギリシャのダイナコム・タンカーズ・マネジメントは早い段階で海峡通過の手段を見つけた様子だった。戦争開始からわずか10日後、同社が運航するタンカーは、最後にペルシャ湾内で位置情報を発信後、インド沖付近にいることを示す位置情報が船舶追跡システム上に突如として表示された。

ダイナコムが採用した「信号オフ」による輸送手法は、その後数週間から数カ月の間に、多くの船主や原油輸出業者が追随することになった。ADNOCもその1社だった。

海事データベースのエクアシスによれば、少なくとも4隻の長錦グループの船舶がADNOCの管理として登録されており、このうち2隻は少なくとも4月半ば以降に運用が始まったことが確認できる。

ただ、船舶ブローカーは非公式には、一部は3月から運用が始まっていた可能性があると話している。戦時下では海運業界にもともと存在する不透明さが一段と増しているため、実際の船舶数はさらに多い可能性がある。

もっとも、ADNOCは長錦以外の船主の船舶も活用しており、その中にはADNOC傘下企業のナビゲート(Navig8)が保有するタンカーも含まれた。事情に詳しい複数の関係者によると、5月初めまでには、ADNOCはホルムズ海峡のシャトル輸送に投入するタンカーの購入も積極的に進めていた。

タンカーはジルク島やダス島などUAEの積み出し港で原油を積み込んだ後、トランスポンダーの電源を切ったまま約2日かけてペルシャ湾を航行し、ホルムズ海峡を抜けてオマーン湾へ向かった。そこで待機していた空荷のタンカーに横付けして原油を積み替え、その後、世界市場へ輸送した。

事情に詳しい関係者2人の話では、船団は夜間の闇に紛れて航行し、多くの場合は複数隻が密集して船団を組み、オマーン沿岸に沿うように進んでいた。トランスポンダーによる位置情報が得られないため、アナリストや報道機関は現地の衛星画像を詳細に分析せざるを得なかった。

ケプラーとボルテクサの双方が確認した積み荷データに基づくと、長錦の船舶は4月以降、UAEのペルシャ湾岸の港から少なくとも日量68万バレルの原油を輸送していた。ただ、実際の輸送量はこれを大きく上回る可能性がある。データによると、この輸送量は6月には日量140万バレルに拡大した。

少なくとも10隻の長錦の船舶が、ペルシャ湾内のUAE石油ターミナルからオマーン湾までのシャトル輸送に従事しており、このうち3隻は4月半ば以降、継続して同輸送を担っている。

タンカー運賃が過去最高水準にある中で、これほど大量の原油を輸送したことは、長錦に巨額の利益をもたらしたと考えられ、超大型タンカーへの数十億ドル規模の投資資金の回収も既にかなり進んだ可能性がある。

こうした動きにより、鄭佳賢氏と長錦は、イランでの戦争によるエネルギー市場の混乱の恩恵を受けた最大級の勝者の一角となった。他の大手タンカー船主に加え、混乱や相場変動が大きい局面で収益機会を得る傾向のあるヴィトール・グループやトラフィギュラ・グループなどのエネルギー商社も同様だ。

有利な立場

UAEはホルムズ海峡を通じた原油輸送をいち早く本格化させた国の一つだったが、6月初めまでには、クウェートやイラクなど近隣諸国の原油を運ぶタンカーも相次いで同海峡を航行するようになった。

アテネで開かれた海運業界の主要会議では、位置情報を隠した航行の拡大は、業界関係者の間で主要な話題の一つとなっていた。そして、もう一つ話題はもちろん鄭佳賢氏だった。業界では、出会った相手とすぐ腕相撲をするほど腕相撲好きとして知られる鄭氏は、疲れを知らない実業家ぶりを発揮し、引き続き取引拡大に奔走。事情に詳しい関係者によると、他の船主に対し、さらに多くのVLCCを売却するよう働きかけていたという。

その頃までには、ホルムズ海峡を航行する多くの船舶が、米軍の支援プログラムの下で運航していた。船舶は、海峡中央部に設置された可能性のある機雷を避けるためオマーン沿岸に沿って航行し、その間、米軍が航行指針の提供や上空からの警護を行っていた。一方、北側のイラン領海では、同国当局が船舶の航行を管理していた。

位置情報を隠した船舶の航行拡大は、6月初めまでに原油相場が大きく軟化した背景の一つだ。米国からの原油輸出の急増や、中国の買い付け減速も相まって、市場には下押し圧力がかかった。

一方で、こうした秘密裏の輸送が広がったことで、世界の原油供給見通しを推計する作業はさらに難しくなった。

当時、一部のアナリストはホルムズ海峡を通過する原油輸送量を日量約200万バレルと推計した一方、JPモルガン・チェースは日量500万バレル強との見方を示した。ライト米エネルギー長官は6月12日、日量約700万バレルの原油がホルムズ海峡を通過しているとの見方を示した。

そのわずか数日後に成立した米国とイランの暫定和平合意により、こうした原油輸送はさらに拡大することになった。

しかし、ペルシャ湾内に足止めされていた船舶がトランスポンダーを作動させた状態で次々と湾外へ向かい始めると、次の焦点は空荷のタンカーが再びペルシャ湾へ入り、新たな積み荷を引き受けるかどうかに移った。

この点でも、長錦グループは有利な立場にあった。船舶ブローカーの推計に基づくと、今後2週間以内にペルシャ湾に到達可能なVLCCの3分の1超を同社が実質的に運用している。南アフリカ沖で数カ月間空船のまま待機していた少なくとも1隻も、既にホルムズ海峡へ向かっている。

6月終盤には、長錦がペルシャ湾からインド向けの原油輸送について、今年これまでで最高水準の運賃の一つで船舶を仮押さえしたことを船舶ブローカーに通知した。ブローカーによると、この通知は同社の大胆な営業戦略を象徴するものだった。

運賃は、和平合意後に一時急上昇した後、ペルシャ湾へ入る船舶が増えていることが明らかになるにつれて低下した。ただ、それでも歴史的な水準と比べれば高い。

その中でも、長錦は引き続き重要な役割を担っている。過去1週間だけでも、同社は少なくとも18隻のVLCCをペルシャ湾へ送り込み、同地域から計3600万バレルの原油を運び出せる輸送能力を確保した。

長錦は6月終盤、船舶ブローカー向けに配布したメッセージで、「積み込み後もホルムズ海峡を通航できる」と説明した。その上で、イラクの原油ターミナルでの積載のために同社の船舶を手配するよう呼びかけ、「手持ちの貨物があれば知らせてほしい」と伝えた。

原題:The Supertanker Tycoon Making Millions on Hormuz Shuttle Runs(抜粋)

--取材協力:Prejula Prem、Jack Farchy、Archie Hunter.

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