米連邦準備制度理事会(FRB)の独立性は、連邦最高裁の判事1人の判断に支えられている。ロバーツ最高裁長官が29日示した画期的な二つの意見から導かれる結論は、そういうことだ。

そのうち1件は、イデオロギーに沿って6対3で下された判断で、行政府に属する機関の独立性を、FRBを除いて事実上終わらせる内容だった。

もう1件は5対4の判断で、ロバーツ長官とカバノー判事がリベラル派3人の判事に加わり、FRBは歴史的に特殊な存在であることを理由に独立性を維持できると判断した。

この決定では、トランプ大統領はクックFRB理事を、本人に反論の機会を与えないまま解任することはできないとした一方、大統領に対して、今度は裁判所で自らの解任理由を弁護できる手続きを経た上で、改めて解任を試みる余地を示した。

FRBに関する5対4の判断は、カバノー判事の1票に支えられている。同判事は同意意見で、この問題は決着済みだとして市場を安心させようとした。

だが、バレット判事は反対意見で、FRBの独立性を守る今回の判断は、大統領が自ら任命した委員や機関トップを解任できなければならないとする判断と「重大な緊張関係にある」と指摘した。

つまり、この問題は決着していない。確かにロバーツ長官とカバノー判事はクック理事を支持した。しかし最高裁には、FRBの独立性は憲法の制度設計に反すると判断する可能性がある保守派判事が4人いる。

そしてクック理事は、次に解任が試みられた際には職を守れないかもしれない。このため、理論上はFRB理事は正当な理由がある場合にしか解任できないと5人の判事が考えていたとしても、トランプ大統領は近い将来、事実上FRBを支配する立場を得る可能性がある。

「単一執行権」

今回何が起きたのかを理解するには、まず大統領が連邦取引委員会(FTC)のスローター委員(民主党)を解任できるとの判決から始めなければならない。

この「スローター判決」は6対3で保守派が勝ちを収めた。故アントニン・スカリア判事が1988年に最高裁で初めて本格的に展開した「単一執行権(unitary executive)」理論にとって画期的な勝利となった。

争点となったのは、現代の行政国家を支える重要な柱である独立機関そのものの存在だった。

独立機関とは、大統領が委員など運営責任者の少なくとも過半数を任命できる一方、その構成員を解任できるのは「正当な理由(for cause)」がある場合に限られる機関を指す。この正当な理由とは従来、非効率や職務怠慢、不正行為などを意味すると理解されてきた。

独立機関の合憲性は、1935年の「ハンフリー判決」で最高裁が認めた。それ以前も以後も、議会は独立機関を設立する際、大統領による全面的な支配から一定程度切り離されることを前提として制度設計を行ってきた。

政治学者の通説では、議会がこうした機関により大きな権限を与えたのは、大統領個人や党派的な思惑だけで左右されないと信頼していたからだとされる。

独立機関は、専門性というものが存在し、多くの連邦政府の機能はその専門性によって恩恵を受けるという考え方を体現してきた。こうした独立機関には、環境保護局(EPA)や証券取引委員会(SEC)、FTC、さらには中央情報局(CIA)さえ含まれてきた。

今回のスローター判決で保守派多数意見は、これらの機関は単一執行権の原則に反するため、設立当初から現在に至るまで違憲だったと判断した。

この理論は米国憲法の本来の意味に基づくとされる。筆者を含め多くの憲法学者は、その歴史的根拠には納得していないが、その議論はここでは脇に置く。

「原意主義(オリジナリズム)」の特徴は、発展する憲法秩序の現実的な必要性を意図的に考慮しない点にある。合衆国憲法が制定された18世紀後半と世界が全く異なっていても関係ない。重視されるのは憲法制定当時の一般的理解だけだ。

その結果、スローター判決はFRBの独立性も違憲となる可能性を残している。最高裁はそうではないと繰り返し強調しているものの、実質的にはそう読める。

判決文は、これまでの判例は必ずしもFRBの独立性の合憲性に関わるものではなく、今回の判断もそのように読まれるべきではないとしている。法律家の言葉に置き換えれば、それは過去の判例も今回の判決も、実際にはFRBの独立性の合憲性に関わっているという意味だ。

不気味な沈黙

次に、ロバーツ長官とカバノー判事がリベラル派3判事と共に多数意見を形成したクック理事を巡る判決を見てみよう。

ロバーツ長官は、FRBだけが他の連邦機関と異なる理由を原意主義に基づいて説明しようと試みた。同長官は、FRBは18世紀後半と19世紀前半の銀行制度「第一合衆国銀行」「第二合衆国銀行」と似ており、それらの理事会には大統領任命者だけでなく株主が任命した理事も含まれていたと指摘した。

しかし最終的にロバーツ長官の判断は、原意主義というより「実用主義」の色彩が強かった。このため他の保守派判事は賛同しなかった。

同長官は、独立した中央銀行が通貨を供給する経済的必要性について述べたハミルトン初代財務長官の言葉を繰り返し引用している。現実主義者として知られるハミルトンへの依拠は象徴的だ。

カバノー判事の同意意見は、さらに実用主義的だ。同判事は「FRBの地位について一時的な不確実性が生じるだけでも政治的混乱を招きかねない。大統領が複数のFRB理事を即座に自由に解任できるのかという混乱だけでなく、米国や世界の経済にも混乱を引き起こしかねない」と記した。

これは本来、原意主義が排除すべき実務的考慮そのものであり、実際にスローター判決では排除されている。

結果として、最高裁の判断は矛盾に満ちたものとなった。トーマス判事は反対意見でFRB独立性は違憲だと強く主張し、現代のFRBはかつての銀行制度とは本質的に異なると説得力ある議論を展開した。バレット判事も、真の原意主義者であるならこうした議論を真剣に受け止める必要があると指摘した。

一方、アリート判事はゴーサッチ判事と共に、FRB独立性そのものには踏み込まず、下級審がクック理事の案件をどう扱ったかという手続き上の問題に議論を絞った。

しかし、その沈黙は不気味だった。両判事も、自ら賛同したスローター判決の論理をFRBにも適用し、その独立性を否定する判断に加わる可能性があると受け止めざるを得ない。

ロバーツ長官とカバノー判事は、一方の事件では原意主義を、もう一方では実用主義を用いた結果、最高裁を不安定で居心地の悪い立場に追い込んだ。

法理上の一貫性の欠如は、小さな問題であれば許容される場合もある。しかしFRBの独立性が懸かる場面で、相反する憲法解釈に基づく二つの矛盾した判決を示すことは、極めて危険な戦略だ。

ロバーツ長官とカバノー判事が本当の意味での原意主義者ではないこと自体は望ましい。現実社会で重要な憲法問題を判断する方法として、原意主義は恐ろしいほど不適切だからだ。

しかし原意主義者を演じた結果、彼らは独立機関を破壊し、自ら守ろうとしたFRBの独立性さえ危険にさらしてしまった。それは非常に危ういゲームだ。

(ノア・フェルドマン氏はブルームバーグ・オピニオンのコラムニストで、米ハーバード大学の法学教授です。このコラムの内容は個人の意見で、必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの見解を反映するものではありません)

原題:Supreme Court Preserves Fed Independence for Now: Noah Feldman(抜粋)

もっと読むにはこちら bloomberg.com/jp

©2026 Bloomberg L.P.