ロンドンで歩くのが最も危険な時間帯は、犯罪とは無関係だ。私は朝のラッシュ時には命の危険を感じる。地下鉄駅から出てくるロンドン市民は、ものすごい勢いで歩いてくるので、流れに逆らったり、歩くのが遅い人を踏みつけかねない。

彼らはあなたから素早く離れながら、丁寧だが深い敵意を込めて「sorry」と口にするだろう。1日の終わりも同じだ。ただし向かう先は自宅かパブになる。

自転車に乗る人たちも同じような窮地に直面する。テムズ川沿いの大通り、ビクトリアエンバンクメントの真ん中で、郵便局の自転車配達員が別の自転車を突然追い抜き、殴りかかるのを見たことがある。どうやら、相手の罪は十分に速くペダルをこいでいなかったことだったらしい。

俳優のベネディクト・カンバーバッチさんと身元不明の自転車利用者との最近の対立は、混雑するキングスクロス/セントパンクラス駅周辺で、夕方のラッシュ時に起きた。

自転車利用者はこのハリウッドスターが停止信号や横断歩道を何度も自転車で通過したと非難したが、カンバーバッチさんは強く否定した。

ラッシュ時を切り抜けるだけでも大変だが、そうした時間帯の無作法は、ある程度は急ぐ事情で許される。彼らはタイムカードを押さなければならないのだ。

だが、それ以外の時間帯に歩いていても、目立たないが悪質な攻撃性にぶつかることがある。あなたにもきっと経験があるはずだ。私は狭い歩道を1人で歩くようにしている。向こうから来るカップルの片方がすぐに相手の腕をつかみ、自分たちは切り離せない存在で、道を譲るべきなのは私だと合図する。

私は不格好に車道へ降り、どちらからも車もタクシーも自転車も来ていないことに安堵(あんど)するが、彼らは礼の一言もなく通り過ぎる。都市で歩くことについて、もっと明確な指針があった方がよいのではないか。

ロンドンは人々に歩いてほしいと考えている。歩行者が増えれば商売が潤うからだ。車両の乗り入れを禁じた歩行者専用道路を設ける政策は、行き来するのが楽しいコミュニティーと商業の拠点を生み出してきた。

歩くことは健康にもよい。歩数を数えよう。経済にも好循環を生む。人の流れが地元の商店や事業を支える。大手ブランドでさえ、偶然ショールームに立ち寄ってもらえる恩恵を受ける。

どれほどお金が使われているかを知るには、ロンドン中心部のショッピング街オックスフォードストリートだけで2023年に推計30億ポンド(約6400億円)を生み出したことを考えればよい。

しかし、年末商戦期に全長1.2マイル(約1.9キロメートル)のこの通りを歩いたことのある人なら誰でも知っているように、それはひどい体験だ。ロンドン中心部の繁華街、ピカデリーサーカスやコベントガーデンも同じだ。ニューヨークのタイムズスクエアほどの混乱ではないかもしれないが、大差はない。

英雄的な規範

群衆に秩序を課そうとするのは非現実的な試みかもしれない。それでも試す価値はある。そもそも「women and children first(女性と子ども優先)」というルールも、長年なんとなく共有されていた慣習が、1852年になってようやく社会的規範として定着し始めたものに過ぎない。群衆の狂気を和らげる市民的な行動規範を共有しようと努めるべきだ。

まず、伝統に戻ろう。ロンドン市民は歩道のどちら側を歩くべきかを忘れてしまった。最近まで、歩行者は常に左側を歩くよう促されていた。

実際、私が2018年にここへ引っ越してきた時、それが秩序の原則だった。その慣行は地下鉄駅には今も残っており、標識が通勤客に明確に注意を促している。だが歩道では、無秩序そのものだ。21歳の英国人男性は今のような自由放任はあまりにも目新しく、自分も混乱していると私に話した。

この変化は、新型コロナウイルス禍が終わった時期にさかのぼれると思う。人々は通りに出られることに有頂天になり、規範を無視したのだ。

左側通行を思い出すこと、またエスカレーターでは右側に立ち、左側を歩いて上る人のために空けることは、ロンドンのうねるような混雑を整えるのに大いに役立つ。

次に、周囲に意識を向けて歩くことだ。周りの全員に気を配り、自分の速度や進行方向が相手の動きとどう交差するかを意識してほしい。どこへ向かっているのかをはっきり示すことだ。ロンドンの自転車利用者は、曲がろうとしていることを示す手信号については今も非常にきちんとしている。

ニューヨークでは、そこまでではない。そもそもほとんどないかもしれない。日本の歩行者は時に、手を縦に出して、軽く会釈しながら、手のひらで群衆を横切ろうとすることを示す。そうした合図にしても気まずい行為と見なされ、本当に大勢に迷惑をかけざるを得ない時にしか行われない。

それでも、市民意識の高い日本の歩行者から学べることはある。狭い場所では、腕を体に近づけながら前へ進み、全員により多くの空間を与える。リュックサックは下ろすか前に抱え、後ろの人にぶつからないようにする。

狭い道で2人がぶつかりそうになった時は、双方が道を譲ろうとする。誰かが通してくれたことに対し、軽いお辞儀やうなずきで感謝を示すことも多い。これは「配慮」、つまり他者への思いやりと呼ばれる儒教的な倫理の一部であり、中国大陸よりも強い形で日本に残っている。

同じような倫理が取り入れられ、けんか腰にずんずん進むのではなく道を譲るよう促してくれれば素晴らしい。あるいは、歩きながら話し、スマートフォンをスクロールし、周りの人々に注意を払わせるのではなく、自分の周囲に意識を向ける助けになってくれればよい。

先に述べたように、これらは理想だ。日本人でさえ、社会的調和を思い出す必要がある。規律ある人の流れで知られる渋谷の交差点でも、写真を撮るためにポーズを取っていた子どもに女性が乱暴にぶつかる動画が拡散したことがある。そして交差点そのものも、美徳を示す壮大なパフォーマンスに過ぎないのかもしれない。

日本の法律は厳密に言えば、歩行者信号が赤の時に横断歩道の白線上を渡ることを禁じているが、その他の状況については解釈の余地を残している。

私は東京で人々が信号を無視して横断するのを見たことがある。ただし、法律の文言から外れる程度に、白線から十分に離れた場所でだ。

京都では、1日の終わりにサラリーマンたちが自転車で歩道を縫うように走り、歩行者にほとんど警告しないため、こちらが注意しなければならなかった。日本は4月、自転車に乗りながらスマホを使ったり傘を差したりする行為などを対象に、新たな反則金(青切符)制度を導入した。

日本人でさえ正されなければならないのなら、私たちにどんな望みがあるのか。

行動を変えるのは簡単ではない。だが、使い古された格言をさらに使い古すのなら「千里の道も一歩から」だ。歩く時には思いやりを持つよう改めて心がけよう。小さなことから始めればいい。ロンドンでは左側を歩くこと、スマホを使う時は脇へよけること、他人に通行の優先権を譲ることだ。

「女性と子ども優先」という原則が英雄的な規範として語り継がれるようになったのは、1852年、救命ボートが不足した沈没中の英海軍の輸送船で、兵士たちが女性や子どもを優先して避難させた出来事がきっかけだった。私たちが心配すべきことが通勤や買い物程度で済むのなら、もう少し礼儀正しく振る舞ってもいいはずだ。

(ハワード・チュアイオン氏は、ブルームバーグ・オピニオンのコラムニストで、文化とビジネスを担当しています。以前はブルームバーグ・オピニオンの国際エディターで、米誌タイムではニュースディレクターを務めていました。このコラムの内容は必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの意見を反映するものではありません)

原題:A Pedestrian Guide to Sidewalk Etiquette: Howard Chua-Eoan(抜粋)

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