真夜中のホルムズ海峡を日本の石油タンカーが擦り抜けていく。位置を隠すため無線は切ったままだ。イランは西側諸国の制裁をものともせず、自国産原油の販路を確保する。そして国際エネルギー貿易のパワーバランスは、既存の覇権国から新興勢力にやがて移行していく。

今の中東情勢の描写ではない。1953年の「日章丸事件」は、その後数十年間に起きた幾つかの地政学的急変、1956年のスエズ動乱、60年の石油輸出国機構(OPEC)創設、73年の中東産油国による石油禁輸を予見させるものだ。

この事件は、今日の危機にも教訓を与える。アジア諸国は、たとえ西側同盟国の怒りを招いても、エネルギーの自立確保のために手段を選ばないだろう。1953年当時なら開発途上国からの石油、2026年の今は再生可能エネルギーだが、安価なエネルギーの確保は、他のあらゆる検討課題に優先する。

百田尚樹氏の小説「海賊とよばれた男」が2013年にベストセラーとなり、「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」の山崎貴監督による映画化も人気を博したことで、日章丸への関心が日本で再び高まった。商船三井が運航するタンカーが、ホルムズ海峡を通過したと伝えられた(同社は否定)最近の騒動も、色濃く残る日章丸の記憶で説明がつくかもしれない。

1953年と言えば、日本は連合軍の占領下から脱して間もないころだ。イランの石油産業は国際石油資本(メジャー)BPの前身、アングロイラニアン・オイル・カンパニー(AIOC)が支配していたが、国有化を宣言したイランに対し、英政府は海軍による経済封鎖・禁輸措置で対抗した。

日章丸のオーナー、出光興産は、国内のエネルギー供給を支配する外国の石油大手や国内財閥の寡占体制に挑む新興商社だった。 創業者の出光佐三氏は、輸入業者という仲介者を排除しようとする米原油生産会社の締め付けを受け、イランに目を向けた。英国の封鎖に逆らう覚悟があれば、原油を30%割引で提供するとイランは申し出た。

一連の出来事は、冷戦時代のスパイスリラーのようだ。イランに到着した日章丸は、民衆の歓声に迎えられた。帰路の長い航海では、英国艦船をかわすために策略と大胆な操船技術を駆使した。川崎港に到着後は、積み荷の所有権をAIOCと法廷で争うことになる。米英の情報機関が共謀し、イランのモサデク首相をクーデターで打倒したのは、3カ月後のことだ。

だが、石油市場のゲームの規則は永遠に変わった。1950年時点では世界の石油生産は、西側の石油メジャーとソ連にほぼ支配されていた。しかし資源ナショナリズムの波がその後押し寄せ、両者のシェアは1973年までに40%に縮小した。

既成の秩序を打破しようとする出光佐三氏の決意は、その後の展開を予感させるものだ。日本の通商産業省(現経済産業省)は当初、出光氏の型破りな行動を快く思わなかったが、広範な国民的支持を前に最終的に協調路線を取る。

通産省の指導の下、安価な輸入燃料と国有化後の中東石油産業との緊密な関係は、日本の工業化の礎となった。今日に至るまで、日本はイランと非常に良好な関係を保っている。

このエピソードは、西側諸国を懸念させるはずだ。ホルムズ海峡を通常通る石油・天然ガスの約85%をアジア諸国が輸入している。1945年以降、それらの国々のエネルギー政策は二つの柱に支えられてきた。一つはペルシャ湾からの確実な石油供給、もう一つは荷揚げする港にタンカーが無事到着することを保証する米国の安全保障の傘だ。

両方の柱が今崩れつつあり、速やかな見直しが必要だ。短期的にイランは戦争がなかった場合よりも多くの友人を得るだろう。 石油とガスが底を突くまであと数週間という状況になれば、イランが「非敵対国」に課す安全航行の保証料(1隻当たり200万ドル=約3億1800万円)は、不確実な海上保険の費用(500万ドル以上)と比べ、かなり競争力があると思われる。

長期的には石油不足で多くの国が新たなエネルギー源に目を向けることになるだろう。 1950年代の資源ナショナリズムは、日本が英米系石油会社の支配を打破する道を開いた。中国からの電気自動車(EV)、太陽光パネル、風力タービンの輸出は、アジア諸国に中東産石油・ガスへの依存低減を可能にする。この地域のほぼどこでも、クリーンエネルギーは化石燃料発電より既に安価だ。現在の危機はそれがより安全であることも示す。

1953年に日章丸は大英帝国の金融・軍事力の裏をかき、急速に衰退しつつあった覇権国家の無力さを露呈させた。化石燃料による米国のエネルギー覇権という新時代を約束し、ホワイトハウスに昨年復帰したトランプ大統領は、今まさに「歴史は繰り返す」を力強く実演して見せている。

(デービッド・フィックリング氏は気候変動とエネルギーを担当するブルームバーグ・オピニオンのコラムニストです。ブルームバーグ・ニュースやウォールストリート・ジャーナル、フィナンシャル・タイムズでの記者経験があります。このコラムの内容は個人の意見で、必ずしも編集部やブルームバーグ・エル・ピー、オーナーらの意見を反映するものではありません)

原題:A Forgotten Crisis Explains Today’s Energy Shock: David Fickling(抜粋)

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