政府の雇用政策と制度改革の動向
インドの労働市場でみられる産業・環境・制度の課題に対して、政府がどのような政策体系を展開してきたのか。
公共雇用・スキル開発・産業政策から成る雇用政策の枠組みを整理するとともに、労働法典(Four Labour Codes)に代表される労働市場制度改革の動向を概観する。
(1)雇用政策の枠組み
インド政府は、人口ボーナス期を持続的成長につなげるため、雇用の量的拡大と質的改善の双方を政策目標として掲げ、多層的政策を展開している。
その中核は、①公共雇用・安全網、②スキル開発政策(Skill India/国家技能開発ミッション[National Skill Development Mission:NSDM])、③産業政策の三本柱である。
これらは対象やアプローチは異なるものの、雇用吸収力の強化と包摂的な労働市場の構築を共通目的としている。
(公共雇用・安全網政策)
第1の柱は、農村の貧困削減と最低限の雇用機会確保を目的とした公共雇用・安全網政策である。
代表的なのが全国農村雇用保障法(Mahatma Gandhi National Rural Employment Guarantee Act:MGNREGA)であり、農村世帯に年間100日分の賃金労働を保証するものである。
農村では農閑期や干ばつで農作業が途切れやすいほか、景気後退時には都市部での出稼ぎ収入が減少し農村家計が不安定になりやすい。
こうした状況に対応するため、MGNREGAは市場に左右されず最低限の所得を確保する公的な雇用保障として設計されている。
実際に、農村の雇用や所得が不安定化する局面では就業機会の下支えに一定の役割を果たしてきた。
また、農村生計向上を目的とする国家農村生計ミッション(Deendayal Antyodaya Yojana–National Rural Livelihoods Mission:DAY–NRLMは、女性を中心とした自助グループ(Self-Help Group:SHG)の形成を通じて金融アクセスや小規模事業を支援する制度である。
小規模な生計活動を通じて女性の経済参加を広げてきたものの、活動の多くは零細規模にとどまり、賃金雇用への移行や雇用の質的改善には必ずしも結びついていない。
このように、全国農村雇用保障法は「短期的な雇用保証」、国家農村生計ミッションは「生計向上のための支援」と性格は異なるが、いずれも農村部における所得の安定化・多角化に一定の役割を果たしている。
一方で、非農業化や公式雇用の創出といった長期的な構造改善を促す点では限界が残る。
(スキル開発政策)
第2の柱は、スキル開発政策(Skill India/国家技能開発ミッション[National Skill Development Mission:NSDM])である。主な政策は以下のとおりである。
・職業訓練・認定制度(Pradhan Mantri Kaushal Vikas Yojana:PMKVY)
・見習い制度(National Apprenticeship Promotion Scheme:NAPS)
・農村若年層支援(Deen Dayal Upadhyaya Grameen Kaushalya Yojana:DDU–GKY)
これらの施策は、基礎的技能の付与や就職支援を通じて労働市場のスキル・マッチング改善を目的としている。
しかし、近年の研究や政策レビューでは、訓練修了後の就職が自営業や非公式雇用に偏りやすい点が課題として指摘されている。
背景には、公式部門の雇用機会が限られていること、短期訓練の実務能力不足、地域産業とのミスマッチ、女性に対する安全面や家庭内役割といった環境上の制約がある。
そのため、スキル開発政策は雇用機会の拡大には一定の効果を持つものの、高付加価値部門への労働移動や雇用の質の観点では改善の余地がある。
(産業政策による雇用創出)
第3の柱は、製造業や新興産業の育成を通じた雇用創出政策である。
2014年に開始されたメイク・イン・インディア(Make in India)は、当初25産業(後に27産業)を対象として、規制緩和や投資促進策を通じて製造業の拡大と外国直接投資(FDI)誘致を図ったが、雇用吸収力の面では投資が資本集約的分野に偏ったことなどから全体として限定的であった。
これを受け、2019年には生産連動型インセンティブ(Production Linked Incentive:PLI)スキームが導入され、エレクトロニクスや自動車など14分野で、生産実績に応じた財政インセンティブを支給することで生産拡大を後押ししている。
しかし PLI の雇用創出効果には分野によって差があり、労働集約的な家電組立では増加する一方、電子部品や高度エレクトロニクスなど自動化が進む分野では限定的と指摘されている。
こうした課題を補完する形で、新規雇用の創出に応じてインセンティブを付与する雇用連動型インセンティブ(Employment Linked Incentive:ELI)スキームが導入された。
製造業に限らず幅広い業種を対象とし得る制度であり、2025年8月1日に開始されたばかりで効果は今後検証される段階にある。
Make in India、PLI、ELI はいずれも産業・雇用基盤の強化を目的とした政策であり、Make in India は製造業全体の成長を促す広範な政策、PLI は特定分野での生産拡大を支援する制度、ELI は企業の実際の雇用創出を直接的に後押しする仕組みとして位置づけられる。
ただし、これら産業政策による雇用創出には分野間の偏りが残り、この点は今後も改善の余地がある。
(2)制度改革と社会保障の拡充
産業政策やスキル政策を効果的に機能させるには、労働市場制度そのものの近代化が不可欠である。
その基盤となるのが、2019~2020年に制定された労働法典(Four Labour Codes)であり、従来の29本の労働関連法を賃金法典・労働関係法典・社会保障法典・労働安全衛生法典の4つに再編したものである。
これら4法典は、2025年11月21日に中央政府により一括施行され、制度体系は大きく整理された。
たとえば、賃金法典では最低賃金の全国的な枠組みが導入され、労働安全衛生法典では雇用開始時に労働条件を明示した任命書の交付(雇用条件の書面提示)が義務化された。
任命書の交付義務は、労働条件を明確にし、紛争時の証拠確保にもなるため、労働者保護の強化につながる。
さらに、社会保障法典では、公的医療保険制度であるESI(Employees’ State Insurance)について、未登録の労働者・事業所の登録を促す仕組みが導入された。
また、積立型退職給付制度であるEPF(Employees’ Provident Fund)を含む社会保障制度が同法典に統合されたほか、ギグワーカーやプラットフォーム労働者を社会保障の枠組みに位置づける制度が初めて設計された。
こうした改革により、制度上は労働者保護のカバー範囲が広がったと評価される。
しかし、労働法典全体が実際に機能するかどうかは、州政府による規則制定や監督体制に大きく依存している。
多くの州で準備が進んでおらず、企業側の拠出・給付手続きやデジタル管理体制も整備途上である。
このため、制度上は社会保障の対象が広がったにもかかわらず、実際の適用範囲は依然として限定的であり、非公式部門の労働者やギグワーカーが制度の枠外に置かれやすい状況が続いている。
このように、労働法典の施行は制度基盤の近代化に向けた重要な一歩ではあるものの、社会保障の実効的な拡大には、州レベルの体制整備や企業側の運用負担の軽減など、多くの課題が残されている。

