労働市場の構造的課題

前章では、インドの労働市場が量的には拡大している一方で、産業転換の遅れ、女性の労働参加を阻む環境上の制約、非公式雇用の固定化と社会保障の不足といった、質的課題が残されていることを確認した。

本章では、これらの課題を産業・環境・制度の三つから整理する。

(1)産業的側面:産業転換の遅れ

インドでは経済成長が続く一方で、労働力の非農業部門への移行は十分に進んでいない。

PLFSによれば、非農業部門の雇用割合は2018年度に57.5%まで上昇したが、2023年度には53.9%へ低下している。パンデミック期の都市部から農村への逆流も影響したが、より重要なのは高付加価値部門の雇用創出が構造的に不足している点である。

全労働者の46.1%が農林水産業に従事している一方、そのGDP割合は17.8%に過ぎない。これは、低生産性部門に労働力が滞留しており、産業転換が十分に進んでいないことを示している。

インドで産業転換が進みにくい背景として、以下の三つの構造的要因が指摘される。

第一に、労働集約型産業の比重が縮小し、製造業全体としての雇用吸収力が低下している点である(いわゆるpremature deindustrialization)。

第二に、大都市への集積が進む一方で、地方都市・中規模都市の産業基盤が弱く、都市化が二極化する「都市の二層構造」が存在し、都市間で雇用吸収力に大きな格差が生じている点である。

第三に、中規模企業が育ちにくい「ミッシング・ミドル(missing middle)」が存在し、小規模企業から中規模企業へ成長する経路が細いことが労働集約的な雇用創出を阻んでいる点である。

こうした要因が相互に作用し、インドでは産業転換が他国に比べて進みにくく、結果として低生産性部門からの労働移動が停滞する状況が続いている。

(2)環境的側面:女性の労働参加を阻む環境上の制約

女性の労働参加率は近年上昇傾向にあるものの、その多くは農村部における自営業主や家族従業者といった低所得で安定性の低い就業形態に集中している。

教育水準が向上しても、制度的保護のある賃金労働への移行は限定的である。

教育水準と女性労働参加率の関係を整理すると、その推移は全体として「U字型」を描く。

無教育層では農業や家族従事が多い一方、初等~中等教育層では在学・家事負担・結婚による離職が増え参加率が低下する。

高等教育層では、家族や地域社会が女性の就業を比較的許容しやすい教育職・公務・ホワイトカラーへの就業が増え、参加率は再び上昇する。

しかし、教育が女性就業の改善に寄与する一方で、その効果は次の三つの制約によって抑えられている。

・家族・社会の価値観や役割期待
・通勤時の安全性や移動手段の制約
・保育サービスや企業側制度の不足

このうち、特に影響が大きいのは家族・社会の価値観や役割期待である。「女性は家庭を優先すべき」といった価値観や、家事・育児の負担が女性に集中しがちな慣行が根強く、就業機会の追求そのものが難しくなりやすい。

通勤時の治安や交通手段の不足、保育サービスや柔軟な働き方制度の整備不足も、女性の就業継続を妨げる要因となっている。

こうした制約が重なることで、女性は低生産性部門にとどまりやすく、労働参加の増加が質的改善に結びつきにくい状況が続いている。

(3)制度的側面:非公式雇用の固定化と社会保障の不足

インドでは、非農業部門における非公式雇用(informal employment)が依然として高水準にあり、雇用の質的改善を阻む主要な要因となっている。

PLFSによれば、非農業部門の非公式雇用率は70~75%前後で高止まりし、農村・都市を問わず広範囲に及ぶ。

多くの企業が小規模・零細のままで事業登録や社会保険加入に踏み出しにくいことが、こうした状況を支えている。

国際比較をみても、インドの非公式雇用率は周辺新興国と比べても突出して高い。

製造業・サービス業といった本来公式雇用が増えやすい部門でも非公式雇用の割合が7~8割と高く、非農業化が進んでも制度的保護を伴う雇用へ十分に移行していない点が特徴だ。

とりわけ、事業規模に応じて制度の適用が分かれる仕組みは、制度参加を阻む構造的要因となっている。

多くの社会保険制度や労働関連規定は従業員数に応じて適用対象が切り替わるため、零細企業ほど制度の外側に置かれやすい。

制度に参加するインセンティブが弱い一方、登録や手続きに伴う負担感は小規模事業所で相対的に大きく、結果として非公式雇用の固定化を招いている。

さらに、非農業部門の定期賃金労働者であっても、社会保障へのアクセスは十分ではない。社会保障加入率は全国平均で5割に満たず、農村部や女性ではより低い水準にとどまる。

名目上は定期賃金労働者であっても、実際には社会保険・年金・有給休暇といった制度的保護を受けられないケースが多い。

また、ギグワーカーやプラットフォーム労働者のように雇用関係が曖昧な働き方は制度の対象外になりやすい。

形式上は自営業者として扱われる一方で、報酬や稼働が特定のプラットフォームに依存するケースが多いため、既存の社会保険制度では保護が及びにくい。

このように、インドでは小規模事業所中心の産業構造、制度の適用基準の複雑さ、そして雇用関係の多様化が重なり、非公式雇用の固定化と社会保障の脆弱性が構造的に続いている。