日本語から中国語へ 台湾がたどってきた複雑な言葉の歴史
台湾は、言葉をめぐり複雑な歴史をたどってきました。1895年から1945年までの日本統治下では日本語教育が行われてきました。その後、中国本土から渡ってきた蒋介石率いる国民党が台湾を支配。今度は中国語が共通語となったのです。
そのため世代によって話せる言葉が異なり、世代間のコミュニケーションが難しいケースも出ています。
「各民族の言葉を尊重すべき」。母語を大切にする動きが出てきたのは、1990年代に民主化が進んだのちのことでした。
母語教育を推進するプロジェクトメンバーの張嘉芬校長は、民主化以前の「国語(中国語)推進政策」の影響で各民族の言葉はほぼ消滅しかけていたと指摘。母語を学ぶことは自分のルーツを再確認し、民族への帰属意識を深めることはもちろん、こんなメリットもあると強調します。
張嘉芬校長
「私たちはずっと母語は家庭で教えるものだと思っていました。学校で教えるものではないと。しかしここ数年わかってきたのは親世代が言葉を失ってしまっているので、むしろ学校で教えてそこから家庭に影響を与えていくという逆のアプローチに意味があるということです。この30年間で確実に変化が見えてきました。若い世代は子どもが生まれた時から母語を日常の重要なコミュニケーション手段として使うケースが増えているのです。私たちの努力の結果、台湾では言葉が小さな火種のように少しずつ息を吹き返しつつあります。これは私たちが目にした最初の希望です」
