鼻毛脱毛ワックスから化粧品や菓子、高級ブランドバッグーー。ディスカウントチェーン「ドン・キホーテ」の創業者、安田隆夫氏(76)が築いた多様な商品が所狭しと並ぶ「宝探し」スタイルの業態は、海外でも支持を得ている。

その隆夫氏が7月、末期の肺がんであることを明らかにした。闘病の一方で直面するのが、一代で築いた資産の相続というデリケートな状況だ。同氏はパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)の株式などで約60億ドル(約9000億円)の資産を持つ。

跡継ぎを巡っては、昨年8月、息子の裕作氏(24)を将来の創業家当主とする意向を示したことで注目された。まだ学業を終えたばかりの後継者が、時価総額3兆円規模のPPIHの取締役に就いたことは、世襲を象徴する一方でリスクも浮き彫りにする。

日本リスクマネジメント学会の亀井克之理事長(関西大学教授)は「投資家のセンチメントは、裕作氏が行使する影響力や公の場での存在感、そして経営陣が創業者から受け継ぐものと優先すべき経営課題とのバランスをいかに取るかによって左右される可能性がある」と指摘する。

2011年に著書「源流」で、隆夫氏は企業理念を明確に示した。創業者が率いる経営から組織的な運営へと移行するためだ。日本経済大学大学院の後藤俊夫特任教授は「彼が他の同族企業の事例から学んだ教訓は、創業家と経営陣の間で重大な対立が生じれば大きなガバナンス危機を招き、事業に甚大な影響を及ぼしかねないということだった」と語る。

隆夫氏はオーナーとしての役割と日々の経営とを分けることを選んだ。それは、裕作氏を非常勤取締役に据えていることにも表れている。

15年に創業家出身ではない社長に経営を委ねて以降、アジアを中心に展開する業態「ドンドンドンキ」は競争を勝ち抜いている。

手腕を試されたことのない裕作氏が取締役に加わることになったが、長年PPIHを率いてきた経営陣への信頼は厚い。7月に隆夫氏が病気を公表した際、株価が大きく動かなかったことにもそれは現れている。同社は26日の株主総会を経て吉田直樹社長が取締役となり、森屋秀樹専務が社長に昇格する予定で、今後も安定した経営を続けられるかがポイントとなる。

裕作氏の役割が明らかになる一方、安田純也氏(42)と創業家との関係は曖昧だ。かつてはPPIHにも関りがあったことが開示書類から見て取れる。06年の年次報告書では「主要株主の近親者」と記されている。6月末時点でPPIH株を5.6%保有する安隆商事の取締役を15年まで少なくとも10年務め、05年から17年まで安田奨学財団の役員にも名を連ねた。現在はPPIHのグループ内での役職や株式は保有していないとみられる。

PPIH広報室は隆夫氏と純也氏との関係性や隆夫氏の病状、創業家での資産の配分方針などに関する質問に対して回答を控えた。また、ブルームバーグは純也氏への取材を試みたが接触できなかった。

相続税

隆夫氏の資産承継事例は、グローバル化の中で日本の富裕層が、相続や税金について再考していることも浮き彫りにしている。隆夫氏の保有株式はオランダの会社で管理されており、彼と中国籍の妻であるマ・ヤピン氏は10年前から、アジアの富が集まるシンガポールを拠点にしてきた。最高税率が55%に達する日本の相続税から資産を守る目的があったとの見方もある。

政府は17年、海外資産を相続税や贈与税の課税対象外とするための要件について、10年間日本に住所を持たないことと定め、それまでの5年間から倍に伸ばした。租税回避を防ぐ狙いが背景にあった。

オランダ商工会議所の記録によれば、株式を管理するのは15年に設立されたDQ Windmolen B.V.で、6月時点で約1億3400万株(7000億円弱)を保有する。アムステルダムに拠点を置いており、配当とキャピタルゲインへの課税が免除される対象となるため、世界の億万長者たちがよく使う手法だ。

オランダ法人の設立と同年、隆夫氏は相続税も贈与税もないシンガポールに移住した。相続税を回避しようとする日本の富裕層を磁石のように吸い寄せる地だ。この移住は隆夫氏が会長兼最高経営責任者(CEO)から退いて海外事業部門のCEOに就任したタイミングと重なる。PPIHが本格的に海外へ展開しようとしていた時期だ。

シンガポール当局への記録によれば、隆夫氏は高級住宅地であるセントーサ島に居住した。妻は約1050平方メートルの邸宅の所有者として登録されており、この物件は17年に2125万シンガポールドル(約24億4000万円)で購入された。東アジアの家族経営企業と事業承継に詳しい立命館大学元講師の竇少杰(とうしょうけつ)氏は「安田家が相続税負担を管理する措置を講じていなければ、税金を賄うために株式の一部を売却せざるを得なくなり、会社支配力が弱まる可能性があった」と指摘する。

PPIHは隆夫氏のシンガポール移住の理由についてもコメントを控えた。

安売りの王者

隆夫氏は1949年に岐阜県で生まれた。30歳手前で東京に60平方メートルほどの店を開き、後にそれを売却して現金払いの卸売店を立ち上げた。89年、東京都府中市にドン・キホーテ1号店を開店。店舗の自主性を重視した経営で急速に成長した。店名はセルバンテスの古典「ドン・キホーテ」に登場する主人公に由来する。自らを騎士だと信じ込み、英雄気取りで冒険の旅に出る予測不能なキャラクターだ。

店は他にはない品ぞろえで安売りを求める客や観光客を引きつけ、隆夫氏は経営者として頭角を現した。「彼はカリスマ的で、ほぼカルト的な存在であり、絶大な権力と威信を兼ね備えている」と竇氏は述べた。前線から退いた後も存在感を放ち、主要な意思決定に影響を与え続けてきた。

香港のドンドンドンキ

その支配力ゆえに、後継者への引き継ぎは特に困難を極めると竇氏は付け加える。「指導者の交代に伴い、後継者の人格や行動が尊敬と信頼を得られるか、経営手腕が投資家の信頼を勝ち取れるかといった問題が生じる恐れがある」という。

裕作氏は2019年にPPIHでインターンをした後、昨年1月に同社に入社し、同年9月に取締役に就任した。スイス最古の寄宿学校の一つであるローザンヌのブリアモンインターナショナルスクールを卒業後、同市で観光・ホスピタリティを学んだ。23年末に東京・渋谷のホテルでインターンを経てPPIH経営の表舞台に立つこととなった。

同社は国内655店舗、世界で779店舗を展開する。8月に発表した長期経営計画によると、国内の出店拡大や食品強化型業態の確立、国際展開などで35年6月期の売上高を25年6月期からほぼ倍増の4兆2000億円に引き上げる目標だ。国内では主要観光ルートに沿った立地を確保して免税需要に対応するインバウンド戦略に加え、首都圏や大阪の駅前、ロードサイドも合わせて今後10年で250店舗増やす。

同社によると、裕作氏は非常勤取締役として取締役会に出席し、議決に加わっているほか、隆夫氏と行動を共にすることも多いという。若手社員との交流も積極的だ。裕作氏は2つのグループ会社の取締役も務めるが、PPIHの経営を担うことは想定していないと、同社は説明している。

アナリストらは、PPIHの強さは隆夫氏が育んだボトムアップの意思決定という企業文化に起因すると指摘する。調査会社ジャパンコンシューミングの共同創業者マイケル・カウストン氏は「この手法により、事業拡大を推進できる経験豊富な店長の層が厚くなった」と分析した。また「裕作氏がまだ若いため、創業家ではない経営陣が引き続き事業を運営すると予想される」と付け加えた。

カウストン氏はリポートで、日本国内での低価格スーパーへの非常に高い需要や、格安を可能にするPPIHの調達能力の持続的な向上、観光客のブランドへの愛着を理由に、「将来は明るい」と述べた。

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