(ブルームバーグ):米保守系活動家チャーリー・カーク氏殺害事件は、その凶行自体が忌まわしいだけでなく、それに対する憂慮すべき反応も見られているため、米国社会に暗い影を落としている。かつては悲劇に際して米国で最も素晴らしい部分が発揮されたものだが、いま繰り広げられているのは両政党で最悪の部分だ。
政治的な理由による暴力、銃による暴力が常に誤りであることは言うまでもない。だが、左派にはカーク氏の墓の上で踊るような人々もいる。人間としての良識や基本的な礼儀が党派的な争いやイデオロギーの犠牲になり、政治的な目的によって暴力への拒絶が後退すれば、おぞましい行為や暴政がまかり通ってしまう。
共和党をファシスト、無責任と非難することの多い民主党にとって、こうした行為は偽善の極みだ。ネット上でもどこでも、そのようなものが出てくれば民主党は強く糾弾するべきだ。
殺人を祝うのは恥ずべき行為で、職場でのけん責や解雇など相応の結果を招き得る。ただし、個人の政治的見解に対する批判は常に自由であるべきだ。過剰な言論統制が既に敷かれ、カーク氏の立場や支持者を批判するだけで処罰される事態が見られている。そして、トランプ政権が示唆しているような「ヘイトスピーチ」への法的弾圧は、カーク氏が生前に指摘していたように米国の憲法修正第1条(表現の自由)に抵触するだろう。同氏が守っていた憲法の中核的な原則を、支持者がその死を利用して弱めようとしているのは悲しい皮肉だ。
復讐(ふくしゅう)や報復を求める声が渦巻く中ではあるが、圧倒的多数の米国人は政治信条を問わず、この銃撃に恐怖を抱いているというのが事実だ。銃撃犯の憎悪が他者にもあると思い込み、それを口実に政治的反対派や言論の自由を抑圧してはならない。そんなことをすれば、反対意見への不寛容とそれが生む暴力は悪化するだけだろう。左派の多くが今ようやくそれを学びつつあるが、右派の多くは以前からそれを知っているはずで、もっと強く声を上げるべきだ。
このような敵意をあおる党派の争いは、国家という身体をむしばみ、弱めるがんのようなものだ。しかし、朗報もある。その治療法は意外と単純で、必要とされているのはリーダーシップだ。
かつてリンカーンが語ったように、敵意や偏狭な思考を超えて「私たちの内に宿る良い方の天使」を呼び起こすよう全ての米国人に呼び掛けることこそ、真のリーダーシップだ。危機に際し、強いリーダーは緊張を和らげる。あおるのではない。スケープゴートではなく、解決策を探す。人々を分断ではなく、結束させる。そして党派を超えた価値観を思い出させる。
米国史を通じて、そのようなリーダーシップは暗い時代を乗り越える上で欠かせなかった。ジョン・F・ケネディやロバート・F・ケネディ、マーティン・ルーサー・キングの暗殺、01年9月11日の同時多発テロなど、比較的最近の悲劇でもそうだった。
団結を促す努力を重ねることは米国の国益や市民の安全にとって正しいだけでなく、政治的にも有益だと大統領が理解することを願う。そうすれば支持率は上昇し、優先的な政策を推し進める政治的資本は拡大するだろう。逆にそれを怠れば、支持率や政策課題、そしてレガシーは傷つく恐れがある。
こうした時代には、共和・民主の両党や政府のあらゆるレベルで、より強力なリーダーシップが求められる。暴力を非難する、ありきたりの声明を出すだけでは不十分だ。連邦や州の議員、知事や市長、市民社会のリーダーらが党派を超えて物理的に肩を並べ、米国人として価値観と主義・原則を共有しているのだと示す必要がある。
政治的暴力を止めることは、ますます緊急性を帯び、欠くことのできない使命だ。それは党派を超えた協力によってしか、達成できない。その成功には、米国で共有される価値観の力を理解し、党よりも国を第一に考えて結束するよう国民を鼓舞できるリーダーが求められる。
原題:In Dark Times, Americans Need Leadership: Michael R. Bloomberg(抜粋)
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