マール・ア・ラーゴ合意

前述のように、米国の貿易赤字の背後には、構造的なドル高(トリフィンのジレンマ)があるので、それを是正することを検討している。実は、ミラン氏自身は、ドル安調整に必ずしも積極的な訳ではなく、「政策提唱ではなく、利用可能なツールをカタログ化して、それらがどれほど役立つかを分析する」とやや中立的な姿勢を示している。

▼過去、1985年のプラザ合意、1987年のルーブル合意があった。今後、一連の懲罰的な関税の後、欧州や中国のような貿易相手国が、関税削減と引き換えに何らかの通貨協定を受け入れるということは想像できる。それをトランプ大統領の別荘にちなんだ「マール・ア・ラーゴ合意」と表現することができる。21世紀の多国間通貨協定という思考実験だとしている。

▼手段は、海外の通貨当局の保有する外貨準備(ドル)の売却。これは協調介入と同じことになる。外貨準備が売られるとき、海外通貨当局が保有する米国債も減少する。それによって、米国は国債発行での資金調達に困ることになる。かつて、プラザ合意の時は、米国債務はGDP比で40%だったが、それが120%まで膨れ上がっていて、米政府は資金調達ニーズが大きくなっている。

▼もしも、通貨調整=ドル切り下げを行った場合、海外投資家がドル保有を敬遠するリスクが生じる。米長期金利は上昇する。ほかにも、例えば、▲20%のドル切り下げで、消費者物価は+0.6~1.0%ポイントの上昇が見込まれる。FRBは、政策金利を1.0~1.5%ポイント引き上げる可能性がある。

▼ドル安を誘導するには、海外の通貨当局にドル売りをさせる必要があるが、そこでの副作用は米政府の資金調達が困難になる点である。長期国債の代わりに、別の方法で米政府が海外通貨当局などから資金調達する手段を講じなくてはいけない。

▼ポーザー氏の提言として「100年国債」(割引債)を発行して、既存の利付国債と入れ替えることを考えた。購入の相手は、海外の通貨当局で、この100年国債を買ってもらい、米国は安全保障の資金調達の手段とする。安全保障の恩恵を受ける国々が、もしもそれを断ればより高い関税をかける。この100年国債=割引国債は、米政府にとって利払い負担を大きく軽減できる。

▼海外通貨当局は、いざというときに備えて米国債を保有し、それを担保にドルの流動性を確保したいと考えている。だから、米国債の代わりに、緊急時にドル貸付をFRBから受けられる通貨スワップ協定を結ぶ。そうすると、売却できない100年国債を保有していても、いざという時に資金調達ができる。

▼また、多国間協定ではなく、米国が単独でドル安のための調整をすることも考えられる。それは、非常手段として「一国での通貨調整」のアイデアである。このアイデアは、独立した中央銀行FRBにドル安誘導のために利下げを強制するというものとは別の手段である。①海外の国債保有者に対して、手数料を課す方法。これは、支払利息に料金をかけて、実質的に利息を減らすことになる。海外の通貨当局が、外貨準備として米国債(ドル)を持つことを阻止する狙い。②財務省の為替介入(ドル売り)をして、FRBがそれをバックアップする。FRBはツイストオペで長期国債を購入し、財務省の資金調達に協力する。

▼ウォール街のコンセンサスは、通貨調整を多国間・一国で行うための手段がないとしている。しかし、それは間違いで、上記のようにいくつかの手段は存在する。

パウエル議長の辞任呼びかけは“ドル安誘導”の布石

ミラン論文には、ドル安誘導についての様々な論理的弱点や副作用が隠れている。この点は、別稿で論じることにする。

とはいえ、トランプ大統領が奥の手としてドル安を検討していることは、このミラン論文からわかってくる。ただ、それは副作用も大きいので、すぐに実行できるシナリオではない。だから、実行に移すとしても。このミラン論文で検討されているよりも、さらに用意周到に考えられるだろう。トランプ大統領がパウエル議長の辞任を呼びかけたことも、ドル安誘導に向けた布石という理解もできる。先を読む上でこうした論文が参考になると思う。

(※情報提供、記事執筆:第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト 熊野英生)