トランプ大統領の一連の発言を振り返ると、その下敷きになっているのが「ミラン論文」だということがわかる。2024年11月に発行されたこの論文を読み解き、関税交渉の先にあるドル安誘導に向けた米国の意図を考えたい。無論、ドル安誘導には大きな弊害・副作用があるから、まだ思考実験の域を出ないのだろう。それでも先を読むという発想で、ミラン論文を検討していくことには意義がある。

日米交渉の先

日本は、米国との間で5月1日に第2回目の関税交渉を行う予定である。その前哨戦ともみられていた4月24日の加藤勝信財務大臣とベッセント財務長官の間での初めての会談では、日本の為替政策が批判されることもなく、無風で終わった。同じベッセント財務長官が、日米関税交渉で赤沢亮正大臣のカウンターパートであるだけに、私たちは為替問題で米国が日本を揺さぶってくる可能性を警戒していた。掟破りのトランプ政権の中で、ベッセント財務長官は穏健派として組みしやすい相手に見える。しかし、安心してはいけないのは、トランプ政権の関税政策がひとつの論文を下敷きにしていて、その論文がドル安誘導を検討しているからだ。そこには、米国自身が通貨安誘導を行うシミュレーションが様々に書かれている。関税率の次にトランプ大統領が懐に忍ばせているのは、その通貨安誘導という奥の手である可能性が高い。この論文は、大統領経済諮問委員会(CEA)の委員長であるスティーブン・ミラン氏が2024年11月に書いた論文「世界貿易システムの再構築に関するユーザーガイド(A User's Guide to Restructuring the Global Trade System)」である。ミラン氏は博士号は持っているが、筆者と同じビジネス・エコノミストで歴代CEA委員長の中では異色である。この論文は、今読んでみると、トランプ大統領の言っている理屈をそのまま写した内容に見える。もちろん、この論文の方が前なので、実際はトランプ大統領がこの論文を下書きにして、持論を展開していることはほぼ明白である。そうした意味では、トランプ大統領の狙いを読み取るには、ミラン論文に書いてあって、まだ実行されていない計画は何かという内容を探ればよい。つまり、「これから起こることの年表=未来シナリオ」が、この論文には書かれているともいえる。

問題意識

ミラン論文の意図するところは、以下のように描かれている。

▼アメリカは不公正な立場に置かれている。それを取り戻す手段として、関税は使える。貿易相手国と、防衛の傘によって利益を得ている国々に関税率を引き上げることで、適正な対価を求める方法である。米国の輸入関税率は約3%(トランプ政権前)であり、EUは約5%、中国は約10%を課している。米国の低い関税率は、戦後復興への協力や冷戦時に同盟関係を結ぶための優遇措置だった。異なる時代に設計されたシステムである。

▼米国は貿易の被害者である。中国との貿易は、2000~2011年に米国製造業から▲200万人の雇用を奪ってきた。年間では▲20万人に過ぎないが、製造業の雇用減は、製造業のほかに代わりの雇用がない州、特定の町に集中し、地域経済には大きな打撃だった。

▼米国が貿易の不利益を被るメカニズムは、「トリフィンのジレンマ」で説明できる(経済学者ロバート・トリフィン<1911-1993年>はエール大教授、ベルギー生まれ)。まず、米国は基軸通貨ドルを世界に幅広く提供している。ドルは、国際決済通貨として米国以外の国々に使われるから、そこで超過需要が生まれる(準備通貨の需要)。その超過需要が過大な通貨高=ドル高を生み出す。ドル高は米国の輸入価格を割安にして輸入数量を増やす。一方で、輸出価格は割高になって、輸出数量は減る。よって、貿易収支は赤字になってしまう。世界経済が成長するほどにドル需要が生み出されるから、構造的にドル高が生じる。そして、米国はますます貿易赤字化するというジレンマが起こる。