ケニアのルーシー・ワンブイさんが自分はエイズウイルス(HIV)陽性かもしれないと最初に疑ったのは、2000年に乳幼児の子供が病気で死亡した時だった。当時、ナイロビから約193キロ離れたワンブイさんが住む町では、HIV感染症治療は多くの家庭にとって高額過ぎた。

「薬を買うために土地を売る人もいた」とワンブイさんは振り返る。米国が資金提供する「大統領エイズ救済緊急計画 (PEPFAR)」を通じて無料で薬を入手できるようになったおかげで、ワンブイさんが抗ウイルス療法を開始したのは11年になってからだった。PEPFARは03年に当時のブッシュ(子)政権が始めたものだ。

ワンブイさんには現在、健康な10代の子供が2人おり、感染症はうまくコントロールされている。「自分が病気であることさえ忘れてしまった。病院に行く必要もなくなった」と話す。

しかし、トランプ米政権が打ち出した新たな政策優先事項により、PEPFARの先行き、そしてこのプログラムに依存する55カ国の2000万人の命と健康にも暗雲が垂れ込めている。

PEPFARに対する議会承認は3月25日に失効した。その2カ月前、米国務省は90日間の検証を行う間、PEPFARの大部分を含む海外援助プログラムを停止するよう命じた。2月1日には限定的な免除措置が認められ、いくつかの重要なHIVサービスが再開されたが、適用範囲に関する混乱が多くの国で診療所の閉鎖やスタッフの解雇、ケアの中断を引き起こしている。さらに追い打ちをかけるように、トランプ大統領は2月にアフリカにおける数千の医療プログラムへの資金提供を停止した。

削減対象となったプログラムに対しては、米国際開発局(USAID)の優先事項に沿わず、継続は国益に反すると判断されたと通知する書簡が送られた。

国連合同エイズ計画(UNAIDS)のウィニー・バイアンイマ事務局長は、「25年前に世界がエイズと闘うために団結して以来、HIV対策にとって最も混乱を招く瞬間だった」とし、「今、不確実性が非常に大きい」と述べた。

世界の指導者は16年、30年までにエイズの流行を終わらせることを宣言。検査の拡大や治療へのアクセス、そして暴露前予防投薬(PrEP)のような予防ツールにより、「エイズのない世代」の可能性が現実味を帯び始めていた。10年から23年にかけて、世界全体での新規感染者数は40%減少した。

しかし、米国やその他の主要な支援国による資金提供の削減により、数十年にわたる進歩が台無しになり、感染者数と死者数は過去20年余りで最も高い水準に急増する恐れがあると新たな研究で示唆されている。

世界保健機関(WHO)は先週、ケニアを含む8カ国で今後数カ月以内に抗レトロウイルス薬が底を突く可能性があると警告。さらに多くの国が同様のリスクに直面している。PEPFAR凍結による影響を追跡調査している研究者らは、その結果として2万6000人余りの成人と3000人近くの子供が1月24日以降に死亡し、数分ごとにさらに死者が出ていると推定している。

今回の米国による措置以前にも、他の支援国も削減計画を発表しており、26年までに世界のHIV対策への資金提供は24%減少すると予測されている。

クリニックを訪れた人の血圧を測る医療チームのスタッフ(2月、ウガンダ首都カンパラ)

壊滅的な後退も

27日に医学誌「ランセットHIV」に掲載された研究では、支援資金の削減がHIVとの闘いで壊滅的な後退を招く恐れがあると警告している。支援が回復しなければ、25年から30年の間に、最大1080万人が新たに感染し、290万人が関連死する可能性があると研究者は推定している。

「これほど多くの人が生涯にわたる治療を中断した場合の影響については、まだよく分かっていない」と、メルボルンのバーネット研究所のモデリングおよび生物統計学の責任者ニック・スコット氏は述べた。

通常、抗HIV薬を毎日服用することでウイルスを検出できないレベルに抑え、免疫システムを保護し伝染を防ぐことができる。しかし治療が中断されると、HIVは急速に増殖し、患者の健康状態が悪化した後、再び感染力を持つようになる。

シドニーのニューサウスウェールズ大学カービー研究所の所長でHIV専門の研究医、アンソニー・ケレハー氏は、「薬の服用を中止することはダブルパンチとなる」とし、「患者の健康にとって良くないだけでなく、公衆衛生にとっても良くないことだ」と指摘する。

転換点

世界開発センター(CGD)のグローバルヘルス政策ディレクター、ハビエル・グスマン氏は、HIV対策が直面する危機はより深い転換点を反映していると述べた。高所得国の関心が国防など国内優先事項に移る中で、米国だけでなく欧州全体でも政府開発援助(ODA)が大幅に削減されていると指摘した。

UNAIDSのバイアンイマ事務局長によると、南アフリカやボツワナ、ケニアといった国々は、HIV対策プログラムの大半を国内で賄っており、今後数年のうちに完全に自立する計画を備えている。しかし、米国の突然の撤退により、これらの保健システムでさえもPEPFARのようなプログラムを継続することが困難になっている。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校エイズ研究教育センターの共同ディレクターで、PEPFARの科学諮問委員会メンバーでもあるジュディス・クーリエ氏は、この予算削減と解雇は「非常に効果的だった公衆衛生プログラムを一夜にして事実上解体するものだ」と懸念を示した。

ワンブイさんは、20年にわたって築き上げてきたものを失うことは、悲劇的なだけでなく愚かなことだと感じている。「1年や2年ではなく、数十年にわたって命を救ってきた」米国は、これまでに達成してきたことを誇りとすべきだと話す。

「もし私がトランプ氏に会うことがあれば、長年にわたる闘いから得た成果を無駄にしないようにと伝えるだろう」。

原題:Trump Retreat Guts AIDS Drug Funding, Risking Lives Globally(抜粋)

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