ドイツ経済の再建にとっては大連立がベストな選択肢と言える。大連立では、CDU/CSUが重視する規制緩和、減税、企業負担の軽減措置などを進めつつ、SPDの主張を盛り込む形で歳出拡大や所得分配を強化し、その両立を可能にするための債務ブレーキ(財政収支の均衡化を定めたルール)の見直しが進む可能性がある。基本法(憲法)に基づく債務ブレーキの見直しには、議会の3分の2以上の賛成が必要で、債務ブレーキの改正に反対する勢力が、3分の1の議席を獲得した場合、経済・産業の立て直しが行き詰まりかねない。最大野党となるAfDは債務ブレーキの改正に反対している。所得配分を重視する左翼党は、債務ブレーキの改正には賛成するが、国防費の増額に反対する。両党の合計議席は216で、債務ブレーキの改正を阻止可能な211議席を上回る。
政権を主導する可能性が高いCDU・CSUは、連邦議会選挙に向けた選挙公約(マニフェスト)で、税・社会保障負担の軽減、エネルギー価格の引き下げ、規制緩和、投資活性化などを通じて、中期的に2%成長の回復を目指すとしている。企業負担の軽減措置として、法人税率を現在の30%から25%に引き下げ、東ドイツの再建に充てる連帯税を廃止、減価償却と損失の税務処理の変更などを検討する。また、個人負担の軽減措置としては、所得税の最高税率が適用される課税標準額の引き上げ、所得税の基礎控除引き上げ、フルタイム労働者の時間労働や年金世帯の就労時の課税免除、社会保険料負担の軽減、外食費に対する付加価値税率の引き下げなどを掲げる。
エネルギー分野では、2045年までの気候中立、2030年までに電力消費量の80%を再生可能エネルギーで賄うなどの気候目標を維持するものの、市場原理を活用した気候保護を目指すとしている。電力税と送電網利用料の軽減を通じた電力価格の引き下げ、原子力発電の再開是非の検討や、代替エネルギー減を確保することなしに石炭火力発電所を閉鎖しないことなどを示唆している。また、新設の建造物にヒートポンプなどの設置を義務付ける暖房法を廃止し、技術中立的な低排出暖房の普及を促進する。次世代エネルギー技術の研究・開発を推進し、内燃機関車の新車販売禁止を撤回する方針を掲げる。
経済再生に向けては、税負担や行政事務負担の軽減、規制緩和を通じた民間投資の活性化、デジタル化、人工知能(AI)活用、研究開発、イノベーションの推進を通じて産業の再活性化を目指す。具体的には、供給増加を通じたエネルギー価格の引き下げ、サプライチェーン法の廃止、連邦デジタル省の創設、スタートアップ特区による起業支援、労働時間や在宅勤務の柔軟化、自動車産業の競争力維持に向けた支援、戦略技術や基幹インフラの保護、中国への過度な依存を減らすデリスキングを進める。
ドイツのシンクタンクの試算によれば、こうした政策の実行には約890億ユーロ、GDP比で2%に相当する財源確保が必要となる。選挙公約では、失業手当の給付抑制、補助金の見直しなどで財源を捻出するとしているが、柔軟な財政運営の足枷となっている債務ブレーキの見直しが不可欠となろう。CDU・CSUの選挙公約では債務ブレーキを維持するとしているが、次期首相の最有力候補であるCDUのメルツ党首は、見直しに前向きな発言をしている。次期政権下の財政運営の軌道修正に期待したい。

CDU/CSUとSPDは、行政手続きの簡素化やエネルギー価格の引き下げで一致するが、その具体的な方法を巡っては意見対立が予想される。SPDはCDU/CSUが主張する法人税率の引き下げ、連帯税の廃止、高所得者に対する減税、原子力発電の再開検討、暖房法の廃止に反対する可能性があり、CDU/CSUはSPDが主張する最低賃金の引き上げ、低所得者減税、富裕層増税、資産課税の強化などに反対する可能性がある。また、両党はEUレベルで重要課題となる国防費の増額やウクライナへの平和維持部隊の派遣などを巡っても意見対立が予想される。万が一、連立協議が暗礁に乗り上げた場合も、CDU/CSUとAfDが連立協議を開始する国民的な合意は今のところない。別の連立の組み合わせがないことから、非多数派政権を発足するか、再選挙を行う以外にない。

(※情報提供、記事執筆:第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト 田中 理)