なぜ適切な対策を打てないのか
次に考えるのは、なぜ習近平政権は経済の深刻度に応じた適切な対策を打たないのか、という疑問である。
真っ先に考えられる理由は、習近平政権の突然の政策転換に現場の対応が追い付かなかったということである。それまで景気対策を検討すらしていなかったのに、いきなり、世界第2位の経済大国を動かすような政策を打ち出せと指示されても、付け焼刃の対応にならざるをえない。これは、突然の首相交代の後にすぐさま経済対策を打ち出そうとする、わが国の石破政権にも通じるところがある。
しかし、こうした手続き論だけが原因ではない。以下で3点指摘するような中国政府に特有の理由も大きい。
第1に、大盤振る舞いの経済対策に対する厭忌感である。
中国政府は、2008年のリーマンショック時に4兆元という巨額の経済対策を講じたが(当時の名目GDPの13%)、短期間での景気浮揚には成功したものの、その後長年にわたって過剰投資という深刻な副作用に苦しめられたため、大型経済対策には慎重という見方もある。
しかし、本レポートで指摘したいのは、そうした経験に基づく行動パターンではなく、中国政府にそもそも備わっている政策思想やスタンスに原因があるという点である。
まず、財政政策に関しては、健全性や規律を重視している。
中国政府は毎年度の予算編成に際して、長らく財政赤字をGDP比3%以内に抑制する予算案を作成していた。さらに、毎年度の決算において、繰入金や剰余金を使って一般会計赤字の規模を抑える調整措置を講じてきた。2023年の中央経済工作会議では、「財政の持続可能性の強化」、「財政規律の厳守」に加え、「一般支出を抑制し、緊縮財政を受け入れること」など、放漫財政を抑制する姿勢を一段と強化した。これらの動きからも、財政に対する健全重視姿勢が窺える。
次に、金融政策に関しても、景気のファインチューニングの手段としての位置付けは低い。中国では、金融は実体経済に奉仕・付随するものであり、そのため最も重視されているのはマクロプルーデンスである。2023年10月に開催された中央金融工作会議で強調されたのも「中国の特色ある金融発展」であり、共産党の指導の下に、実体経済のための金融サービスを基本目的として堅持することが謳われている。習近平国家主席もこの点を強調しており、自ら「西側の金融モデルとは本質的に違う」と明言している。金融システムの安定を重視する中国政府が最も嫌うのが、積極金融の結果として生じるバブルである。
第2に、共産党由来の経済観が、有効な景気対策の障害になっている。
例えば、生産至上主義で、消費は二の次という姿勢である。中国政府が打ち出す経済対策は、生産を計画的にコントロールできる企業が対象になりがちであり、支出行動を読むことができない家計への支援は限られている。これまでも給付金を実施したことはあったが、極めて対象を限定したものであった。また、消費や結婚に消極的な「寝そべり族」に対しては、習近平国家主席自らが苦言を呈している。
第3に、習近平一強体制の弊害である。
2008年のリーマンショックの際は、国務院常務会議(温家宝首相)で4兆元の景気対策を打ち出し、中国共産党(胡錦濤国家主席)が追認するという役割分担がみられた。しかし現在の政権下では、全ての政策が習近平国家主席の判断に沿って立案・遂行されており、李強首相にご意見番的役割は期待できなくなっている。したがって、習近平国家主席が判断を変えない限り、政府としての方針を軌道修正することができなくなっている。
また、国務院の位置付けが低下したことによって、省庁間の調整機能が低下しているとみられる。そのため、他省庁との擦り合わせよりも、習近平国家主席の意向に沿うことが官僚にとって最も重要な行動原理となっている。
その結果、習近平国家主席に認められた政策を各省庁が散発的に打ち出すことになり、省庁間で連携のとれた政策パッケージを作ることが難しくなっている。