なぜこのタイミングだったのか

まず、なぜこのタイミングで経済対策が打ち出されたのか、という疑問である。おそらく習近平政権は、2023年12月の中央経済工作会議の時点で景気減速を認識していたと考えられる。実際に同会議では、経済の回復のために取り組むべき主な課題として、「有効需要の不足、一部業種の過剰生産」を指摘し、例年に比べて需要の弱さを問題視していた。

そして、景気減速に対する当初の政策対応は、「中国経済光明論」に基づくマインドの喚起であった。具体的には、中国経済に対するネガティブな情報を封じ込める一方、ポジティブな情報を活発に宣伝することで国民の先行き懸念を払拭し、消費マインドや投資マインドを盛り上げていく作戦である。いかにも、政府のコントロールで経済は制御可能と考える計画経済的な発想である。

推測の域を出ないものの、西側諸国の多くのエコノミストが中国景気の減速を指摘していたくらいであるため、中国国内でも景気減速に危機感を抱く経済官僚・エコノミストは一定数存在していたと思われる。

しかし、習近平政権が啓蒙活動に軸足を置いたため、金融政策や財政政策を通じたオーソドックスな総需要刺激策を提言できなくなった。とりわけ、当局から中国経済衰退論とみなされた場合には厳しい処分を受ける可能性があるため、経済官僚・エコノミストは政権批判と受け取られかねない政策提言を躊躇するようになった。
中国の経済官僚・エコノミストが内心忸怩たる思いで景気の落ち込みを眺めていたことは想像に難くない。

その後、多くの西側諸国のエコノミストの予想通り、中国経済は回復に向かわなかった。むしろ、消費者信頼感指数は底ばい状態、小売売上高や固定資産投資は減少に歯止めがかからず、若年失業率はさらに上昇するなど、景気減速はいよいよ深刻になる有様だった。

このような状況になると、習近平国家主席の判断にも変化が生じる。いうまでもなく、中国共産党にとって最も重要なのは一党支配体制の維持であり、それを揺るがすような社会不安の広がりは絶対に回避すべき事態である。

ところが、雇用・所得環境の悪化が明らかになって、習近平政権に対する不満の声が高まりやすい状況に変わってきたことで、ようやく習近平政権は啓蒙作戦を放棄し、より実効性の見込める金融・財政政策による景気刺激に舵を切ったと考えられる。

ここからの動きは速かった。
まず、2024年7月に開催された三中全会で、景気回復を重視する姿勢をアピールした。そして9月に入ると、習近平国家主席が直接、年間の経済成長目標を達成するよう指示を下した。目標が明確になれば、経済官僚も手段を考えることができる。その後は、各省庁が様々な景気刺激策を打ち出し、全人代常務委員会(国会内の
委員会に相当)でも承認されるに至った。

こうしてみると、遅きに失したとはいえ、足元の状況判断を踏まえた政策転換には一定の評価を与えてよいだろう。少なくとも、誤りと判断した自説を捨てる柔軟性は兼ね備えている。