そばにいることができなかった後悔
木村緑さん
「わーっとなってしゃがむんだけど、涙も出ない。叫ぶけど涙も出なくて、息子が抱えてくれるけど腰が抜けちゃって」
亡くなるときにそばに居ることができなかった…その後悔を今も抱えています。
木村緑さん
「1988年9月12日午前10時1分、3230グラムで元気な娘が生まれました。なのに2014年2月13日午前0時52分ごろ、誰もうちの子が亡くなったときにいなかったんですよ。1人で死ななければいけなかった。せめて病院に着いて、まだ息があって、声かけてあげて、お母さん着いたよって、もう大丈夫だからねって言ってあげられなかったことがね、とっても悲しくて悔しくて」
食事がのどを通らず、円香さんがいた空間にいると息ができなくなる日々が続きました。

木村緑さん
「だんだんと、今度私がごはんを作ったら誰が亡くなるんだろうっていう、そっちが通常な考えになっちゃうんですよ。どう考えても次ごはんを作って誰かが亡くなるなんてことはほぼありえない。だけど、そういうことが起きるとそうなっちゃうんじゃないかなと思うと、ごはんが作れなくなっちゃうんですよね」
また、周囲から投げかけられる「悪意のないことば」も、緑さんを追い詰めていきました。

木村緑さん
「娘が亡くなったら私だったら生きてられないわって、そのぐらいつらいんでしょっていうのが言いたかったと思うんですよ。だけどそれを言われるとあたしは生きていたらいけないのかなみたいな、正直当時はね、生きるのが死ぬよりもつらいっていう、そのぐらいの感覚」
このような身近な人からのことばは、緑さんの心にナイフのように刺さりました。













