富山県高岡市出身の元TBSアナウンサー伊東楓さん(30)は、1月1日、高岡市の実家に帰省中、能登半島地震に遭遇しました。「リビングにいたお母さんの“キャー”という声が聞こえました」伊東さんが高岡市にいたのは自らの「個展」を開くためでした。実は伊東さん、2021年にTBSを退社。仕事を続ける中での体調不良をきっかけに、人生を見つめ直したといいます。このまま仕事を続けていいのか…伊東さんが考えたのはアナウンサーという“代弁者”ではなく、好きだった絵の技術を生かして「画家」という“表現者”となることだったといいます。

今回、地震を体験し、被災者のために考えたのが、自らの絵の技術を生かした支援でした。

伊東さんは富山市の酒蔵に相談し、『復興ボトル』の製作に乗り出したのです。

元TBSアナウンサー伊東楓さん:「自分の部屋でキャリーバッグを開けて荷ほどきしている最中に揺れが起きて、リビングにいたお母さんの“キャー”という声が聞こえました。急いでリビングへ向かうと、物がバンバン倒れていました」

能登半島地震が起きた1月1日、伊東さんは個展の開催準備のため高岡市の実家に滞在していました。いままで一度も経験したことのない強い揺れに大きな恐怖を感じたといいます。

伊東さんは被災した故郷・富山のために、今できることは何かと考えます。頭に浮かんだのは、自らの特技の「絵」を生かした支援でした。

伊東さんは、子供のころから絵をかくのが好きで大学時代には“似顔絵師”の資格を取得。アナウンサー時代も、番組で、即興で似顔絵を描く仕事をしたこともありました。

元TBSアナウンサー伊東楓さん:「その時にちゃんと描けるようにしておかなきゃと思って練習をはじめたことが今につながっています」

伊東さんはTBSを退社後、環境を変えるためドイツに行き、独学で絵を描き続けていたといいます。

そのドイツで親しくなったのがアメリカ人の女性。彼女は日本酒のセレクトショップを運営していたそうです。

元TBSアナウンサー伊東楓さん:「ドイツで1番仲のいい親友がアメリカ人で、彼女がベルリンで日本酒のセレクトショップをやっています。私、もともと日本酒に詳しくなかったんですけど、日本人の私よりもアメリカ人のその彼女の方が日本酒のことを詳しかった。それをすごく恥じたし、一緒にいろんなお酒を飲んでいく中で、やっぱり日本酒っておいしいし、日本が誇る素晴らしいものだなっていうのはずっと思っていました」

地震を体験した伊東さんは、富山市岩瀬にある老舗の酒蔵、銘酒「満寿泉」で知られる桝田酒造に連絡をします。桝田酒造は、2008年から2015年までTBSアナウンサーとして活動していた“先輩”枡田絵理奈さんの親戚が営む酒蔵です。地震の前から、知り合いとなっていた桝田酒造に連絡を取ります。

元TBSアナウンサー伊東楓さん:「私も被災して不安だったし、本当に大変だと思うんですけど私が出来ることありますかって桝田酒造さんに伺ったら“復興ボトル”を一緒に作ってラベルを私の絵にしようと」

被災地支援のための“復興ボトル”。そのラベルに選んだのは“猛獣”の絵だといいます。なぜなのでしょうか?

伊東さんが、これまでドイツで描いた34の水彩画の中で、特に思い入れのあるのが、完成に1年を費やした“青い虎”が描かれた1枚の絵でした。一番、つらいときに描いた絵だといいます。

「青色の虎」伊東さんが最もつらいと感じていた頃の作品

元TBSアナウンサー 伊東楓さん:「ドイツで私が一番、心がすさんでた時…架空請求とか、トラブルにあって、その時期に描いていました。“負けたくない”という思いが前面に出ているんです。動物には自分を投影していて、苦しいことがあったり、うまく物事が進まなかったりした時には、“猛獣”を描いています」

猛獣には“負けたくない”という思いが、映し出されているといいます。