市民約3000人が犠牲になった1945年8月2日の富山大空襲から78回目の夏を迎えました。惨劇を体験した人が少なくなる中、記憶があるうちに話しておかなければと、83歳の男性が被災当時のことを語りました。その体験談は、焼夷弾による火災が起こした「火事場風」の恐怖。逃げることが困難な状況にあったことを伝える証拠でした。

小林紀男さん(83):「しかし、ここに来ると、改めてあんなにたくさん人が亡くなって、あんなことがあったんだなと、しみじみ感じますね」

富山市磯部町の小林紀男さん、83歳です。78年前、神通川そばにある磯部町の自宅で空襲にあいました。
1945年8月2日未明、サイパンから富山に出撃したアメリカ軍の戦略爆撃機(B29)183機が、富山市の西方、呉羽山方面から市街地の上空に到達、焼夷弾約52万発を投下しました。

犠牲者約3000人。市街地の破壊率は99.5%。
