富山県高岡市の用水路で14日の朝、遺体で見つかった人気ラーメン店「翔龍」の経営者・浅野昭次さん(70)。浅野さんは高岡を活気付けたいとあえて「翔龍」の店舗面積を広げたり、こども食堂にラーメン店で使うチャーシューを使って丼をふるまったりしていたといいます。いま浅野さんの死を惜しむ声が広がっています。

「あまりに偶然で驚きました…」そう語るのは高岡市の市議会議員・出町譲さんです。

左が浅野さん、右が出町さん(出町さん提供)

きのう(14日)昼前、「翔龍」でラーメンを食べようと店に行くと、いつもは車がいっぱいの駐車場がガランとしていて休業の張り紙が。

そこで浅野さんに電話をしたところ、妻が電話に出て「マスターは亡くなりました。あまりに突然のことで、私も現実かどうか、分からない状況です」と告げられたといいます。

出町さんが浅野さんと知り合ったのは、おととしの春。市長選に出馬し、店の近くで街頭演説をしているときに声をかけてくれたことがきっかけだったといいます。

浅野さんはホタテで有名な北海道猿払村出身で、父親は漁師をしていましたが、子供のころは貧しかったといいます。その後、東京で高岡市出身の妻と知り合い、高岡へ。

翔龍のホームページより

もともとラーメンに関心があり、北海道で旭川ラーメンにほれ込んで研究していた浅野さんは高岡でラーメン店を開業します。常々、「自分を育ててくれた高岡に恩返しをしたい」と話していたといいます。

出町さんが高岡市で、こども食堂の手伝いをしていることを聞き、浅野さんは自分も何かしたいと言ってきたそうです。そして、去年11月、ラーメン店で出している「翔龍」のチャーシューを使って300食のチャーシュー丼を作り、こども食堂に無償で提供したといいます。

チャーシュー丼をこども食堂に出した時の写真(出町さん提供)

その理由は、浅野さんの父親が戦後、子どもたちに食料を配っていたということを思い出したからと語っていたということです。