現在は能登に通う毎日「人のため。それが私の使命」

呉服店のときに使っていた蔵には、所狭しと支援物資が並びます。能登半島地震が起きてからは自宅と能登を往復する毎日です。

川嶋茂雄さん
「野菜のサプリメント。野菜が不足しとる。言語障害だけど、1か月かかってDHCに交渉して、全部支援物資でもらった。個人でこれだけの備蓄しとる人はおらんちゃ。人のため。人のため。それが私の使命」

支援団体を立ち上げた当初のメンバーは3人でしたが、現在は20人ほどに増えました。

入居条件に満たず仮設住宅に入れなかった、珠洲市の山間に住む高齢者に、食料を中心に届けています。

川嶋さんは、このような「災害弱者」にも目を向けてほしいと話します。

川嶋茂雄さん
「まず助けるのは社会的弱者。山の中に住んどる1人暮らし、2人暮らしの高齢者。復旧は終わった。復興はまだこれから先。問題は復興」

被災者に寄り添い続ける生きざまで、川嶋さんは、きょうも能登に向かいます。