太平洋戦争が終わる2週間前、小森一之さんは“海の特攻兵器”といわれた「人間魚雷」で出撃、19歳の若さで戦死しました。訓練基地でのスナップ写真では、ごく普通の若者の表情を見せています。このとき隊員たちはどんな思いだったのか、どんな気持ちで自らの最期を迎えたのか…。遺族や戦友の証言から、彼らの心境を探りました。(2018年の取材時の年齢のまま再構成しました)
どこかあどけなさが残る笑顔。はにかんだ表情は、現代の青年たちと変わりません。彼らが出撃命令を待つ「特攻隊員」であっても…。
後列右から2番目、腕を組む青年は小森一之さんとみられます。終戦の約2週間前、沖縄近海でアメリカ軍の大型タンカーに突撃、戦死しました。富山県で唯一、“海の特攻兵器”と呼ばれた「人間魚雷 回天」で出撃した兵士です。
写真は瀬戸内海にあった訓練基地で撮られたもの。このとき、自らの運命をどうとらえていたのでしょうか。

特攻隊員たちの思いに寄り添いたい…。戦死した小森一之さんの15歳下の弟・正明さんは、兄の出撃までの足跡を調べ、その心境を探ろうと語り継ぐ活動を続けています。
戦死した小森一之さんの弟・小森正明さん:
「戦争が終わって70年以上が経ち『今さら何のこと』と考える人が多いかも知れないです。やむをえんことだと思っています」










