「心誠が笑うと、みんなが笑う」家族の中心だったのに
富山県砺波市で生まれた心誠くんは、3人兄弟の末っ子。9歳上の兄と6歳上の姉がいます。
明るい性格で、ゲームをしたり、お手伝いをしたり、兄弟と遊ぶのが好きだったそうです。

心誠くんの母親:
「兄は、心誠が生まれてから人生が2倍以上楽しくなったと言っていました。心誠が笑うと、みんなが笑う。頬を寄せてかわいいかわいいと大切に大切にしていました」


心誠くんが生まれたとき、小学4年生だった兄は自由研究の最後をこう結んでいます。

およそ10年後、心誠くんが小学4年生になったとき、大学生になった兄と高校生になった姉を見て「僕もあんなふうになりたい」と勉強も頑張り始めたそうです。
そして学校の自主学習で毎日、日記を書くようになりました。


内容は今、頑張っていることや兄弟と遊んだこと、母親と料理をしたこと、父親と車を洗ったことなど、担任の先生に伝えたい“日常”が詳しくつづられていました。しかし…。

『あしたはもっと楽しくなるといいです』
それが、心誠くんの最後の日記となってしまいました。
事故当日。心誠くんは白い布に包まれて、滋賀県から富山県砺波市の自宅に帰りました。その道中に見た光景が忘れられないと母親は言います。
心誠くんの母親:
「途中で通った石川県の海がまばゆいほどに光輝いていました。心誠が事故の3日前に書いた日記を思い出していました」

その日記は…。

『太陽の光が反射して、海がピカピカ光ってみえました』
心誠くんが「高速道路」というタイトルで書いた日記です。
砺波市から福井県の祖父母の家へ向かう途中、高速道路から見た石川県の海のことが書かれています。
心誠くんの母親:
「心誠が人生の最後に見た海、美しかったんやな。心誠が死んでしまった現実を急に突きつけられたような気持ちになりました。行くときは生きて通ったこの道が、帰りは死んで通ることになるなんて…」
その時、電話が鳴ったそうです。警察からでした。そこで耳を疑うようなことを告げられました。