震災にとらわれ続けてきた新海監督の思いとは
新海誠監督:
「いただいたお手紙を拝読してお邪魔することを決めた。とても熱く美しいお手紙でした。(12年前)地震が起きた時は東京でアニメーションをつくっていました。被災者ではないことが後ろめたいと思っていた。どうして自分たちではなく東北だったんだろうと、そういう後ろめたさがあった。会長からいただいたお手紙に、私たちは被災者だけど、あのとき地震があって手を差し伸べてくれた人、何かを祈った人、心を痛めた人、そのすべてが被災者と言えるのではないかと書いてくださって。自分は被災者とは言えないが、地震にとらわれ続けてきたことを認めていただいたそんな気がした。それで訪れたいと思った。本当にありがとうございました」

佐藤さんたちホタルの会にとってもかけがえのない経験となりました。
佐藤光一さん:
「感謝しています、新海監督に気仙沼にまた来ていただいて。今度はゆっくり見て味わっていただきたい」

新海監督は、2年前、ロケハンで気仙沼を訪れています。作品の中には、道の駅大谷海岸が登場します。震災を経て新しいベースになっている場所だと感じ選んだということです。

手紙の文面が実際にはどのようなものだったのか、ほかにどんなことが書かれていたか気になりますが、佐藤さんは、「私からお見せすることはできません。監督に宛てたラブレターなので」と話していました。