食料補給が断たれた内田は...
内田は現役引退後、新たな道を歩みます。大学時代に学んだ農学を生かそうと海外へ移住。戦時中、ニューギニアでは、農地の開墾や食料調達に汗を流しました。
<内田の娘・立野恵美子さん(取材当時96、2023年死去)>
「ニューギニアは遠いところですから、帰ってこれないし、手紙も1通も来なかった」
戦況が悪化する中、現地ではマラリアがまん延、さらに食料の補給も断たれます。内田が取った行動は、若い人たちに食べ物を優先することでした。
栄養失調でバタバタと倒れる中で、内田はなけなしの食料を固辞し続け、最期は餓死しました。終戦の年、1945年のことでした。
<立野さん>
「自分が死んでも若い人が残れば、国はまだ残っていくんじゃないかという気持ちがあったと思う」
内田の死から80年。生前の祖父を知らない孫のみどりさんは2025年夏、顕彰碑を建てました。
<河野さん>
「わたし自身が戦後生まれであることを考えても、語り部がいなくなっていくというこの時の流れをここでしっかり受け止めて、私たちがなすべきことは語り継ぐことしかないんじゃないかと今考えている」
日本近代泳法のパイオニアといえる内田さんですが、大河ドラマにもなった田畑政治さんやフジヤマのトビウオ古橋広之進さんなどに比べるとふるさとの浜松でも知る人ぞ知る存在となっています。
内田さんが戦死してから80年。いまこそ、その功績、そして悲劇と向き合う時が来ているのだと思います。










