惨敗だったオリンピック... 「クロールが必要だ」

<河野さん>
「これがオリンピックの参加章。選手証明」
Q.当時のものか?
「これだけが残っている。ジャポン、ヤーパンですかね」

1920年、ベルギーで行われたアントワープオリンピック。日本泳法に絶対の自信を持って臨んだ内田。結果は、惨敗でした。

<藤原名誉会長>
「この(日本)泳法ではやっぱりダメなんだ。勝負にならないことを強く感じたんじゃないか」

「世界と戦うには、クロールが必要だ」。内田は帰国後、こう訴えてクロールを広める活動にのめり込みます。それから12年、ロサンゼルスオリンピックでは、内田の後輩・宮崎康二が金メダルに輝くなど、自由形で6つのメダルを獲得しました。日本は世界から一目を置かれる競泳王国となったのです。

<藤原名誉会長>
「内田さんは後に道を作った人。もし(内田が)日本泳法に固執していたら、今の競泳の発展はなかった」