オリンピックを期待された雄踏の「豆魚雷」

1969年(昭和44年)思い出を語る古橋さん

1928年(昭和3年)、古橋は現在の浜松市西区雄踏町に生まれた。水泳と出会ったのは小学校4年のとき。浜名湖の入り江に作られたプールが水泳部の練習場だった。

「感激しましたね。プールができて。浜名湖の沿岸に、板で囲ったプールですからね。魚は中に入ってくるわ、カキがいっぱいくっついてるわ、そんなとこでやったんですよ。だけどね結構愉快だったですよ。俺も水泳選手になるんだ、俺も選手になりたいんだって。そんな雰囲気になったんですよ」

ふんどし姿で夢中になって泳いだ少年時代。やがてその名は全国に知られることになる。1940年(昭和15年)、6年生の夏。静岡市内で開かれた県大会で古橋は100m、200m自由形の学童新記録を打ち立てた。

「そのときに『豆魚雷現る』っていうタイトルで静岡新聞が書いたんですよ。僕は自分なりになかなかいい名前をつけたもんだなと思ってましたね。豆魚雷なんてね。それから俺もオリンピック行くんだって。自分で言うのもおかしいんですけども、そのままやってたら僕は中学校でオリンピック行きましたよね。オリンピックでおそらく優勝できたと思います」