戦後間もない当時、消防や自衛隊が今のように組織されていない中、堤防の復旧を担ったのは、長野刑務所の受刑者たちでした。
■山口英男さん
「当時県庁の近くにあった刑務所に依頼して1000人の受刑者が3交代で。けれど1人も逃げる人はいなかったと」
当時の刑務所長の日記には、決壊した日の夜に知事から出動要請を受けたことが記されています。
8日間、昼夜を問わず復旧作業に当たった受刑者たち。

須坂市に移転した刑務所には、いまも当時の受刑者の功績を記す記念の碑が建っています。
■山口英男さん
「我々の祖先を助けていただいて今の町がある、そんなことを伝えることが大事なんじゃないかなと」
もう一人、裾花川の氾濫に立ち向かった人がいます。