小さなころから絵を描くことが得意だった大塚さん。

白馬村を拠点に美大に通っていた20歳の時に転機が訪れます。

■大塚浩司さん                                                                      
「これが月間漫画ガロ。もともと僕は漫画家としてデビューしてるんですよ。これがデビュー作品です短い話ですけど私小説的漫画を初期のころは書いていて」


当時、「東京へ出て連載を」との話もありましたが、どうしても白馬村を離れたくないという理由で憧れの漫画家への道を断念。

ふるさとに残って山岳画家への道を歩み始めます。

■大塚浩司さん                                                                                                                
「これ30代の頃描いていた絵ですね。当時はやっぱりファインアート(純粋美術)やりたくて、女房とこども3人抱えて本当に売れなくなって一番苦しい時期で一旦山の絵から逃げた自分がいる」

その後、イワナやヤマメなどを生き生きと色鮮やかに描いたアクリル画を発表すると、これが映画などでも採用されヒット作に。

徐々にアーティストとして名が知られるようになります。

そして、山の絵を封印してから30年近くたったある時、大塚さんは白馬の雄大な山々が心の支えになっていることに気が付きました

■大塚浩司さん                                                        
「還暦前にやっぱりもう一度挑戦してやろう。漫画家としてデビューしてますからその原点である白いケント紙1枚と、鉛筆1本」

大塚さんは再び白馬の山々に向き合います。


■大塚浩司さん                                                                                             
「漫画家も挫折してる。途中でやっぱ諦めちゃってる。山の絵、諦めちゃってる。だから自分今もうじき63になりますけどやっぱ人生の中でやり残した宿題なんですよ。紙と鉛筆だけで、もう1個やり残した宿題の山にもう一度挑んでやろうって」

一枚を仕上げるのに1週間から10日間、作品作りに没頭します。

鉛筆画では9Bから4Hといったさまざまな硬さの鉛筆を使いわけ濃淡を出すのが一般的ですが、大塚さんが使うのはHBの鉛筆のみです。

■大塚浩司さん                                                        
「多分娘が小学校のときとかに使ってたやつじゃないですかね家の中に転がってた。もう本当ごく普通のHBの鉛筆。今年はこれだけかな」